ごう、と吹いた風に煽られて、金の色をした美しい糸が草むらの陰から見えた気がした。その色はひどく見覚えのあるもので、だからこそ嫌な予感がして、ガイは王宮内を歩く足を止め視線をじっとそちらへ向ける。
 いや考えなおせ俺、こんなところで一国の皇帝が寝転んでいるわけがないじゃないか見間違いだ、思い違いだ、と必死で自分に言い聞かせ落ち着かせようとするもそれは逆効果であったようで、感じた予感は段々と確信へと揺れ始めている。確信したくないと強く否定する気持ちだけが抑止力だった。
 あぁそうだ確かに今自分がこうしてグランコクマの王宮の中を歩き回っているのはこの国の皇帝である男を探しているからだ。しかし皇帝は皇帝だ、どこに脱走して地面などに寝転がったりする皇帝がいるんだ。もやもやと頭の中に浮かぶのはそんな一般常識ばかりである。しかし一般常識が通用するような相手でないことを知ってしまっている分、もはやそう考えることに意味はないのかもしれない。
 やがて観念したように小さくため息をひとつ、そちらへと足を動かした。そして丁寧に手入れされた茂みの奥をひょいと覗き見て、ため息をもうひとつ。

「…はぁ、なんでここにいるんだろうなこの人は…」

 そこには無防備にも寝顔をさらけだして草の上に寝転がっているマルクト皇帝ピオニー九世陛下の姿があった。さらさらと先ほど見かけた彼の金髪が風に揺られている。だがそれだけだ。ガイが近づいたことにまったく気づいていないようだった。この人はもう少し他人の気配に敏感だったのではないだろうか、と眉をしかめるほどに。
 しかしこれが一国を治める皇帝の姿だろうか、と少し頭を抱えたくなるのを抑え(この国にきてもう何度同じことを思っただろう)ガイは気持ちよさそうに眠るピオニーの元へと歩み寄った。

「陛下、このような場所で眠っておられては風邪をひきますよ」

 いやそういう問題ではないのだが、この際どちらでもいいことにしておこう。今は彼を起こすのが優先事項である。なにしろ早く起こして執務室へと連れて行かないと死霊使いと呼ばれる男によって己の命が危険にさらされるのだ。まったく、人使いの荒いことだと心の中で溜息をついた。
 ゆらゆら。失礼します、と断ってからピオニーの体を揺らしてみると、んと小さなうめきが上がり、手が振り払われた。しかしそれでめげるガイではない。命がかかっているのだし、振り払ったのは無意識の行動であって触るなと言われているわけではないのだ。

「陛下、早く部屋に戻って仕事しないとジェイドの旦那に怒られますよ(主に俺が)」
「んん〜…ん、ガイラルディア、か…?」

 言葉ににじませた悲痛な心の叫びを感じとってくれたのか、やっとのことで目を覚ましたピオニーが視点の定まらない瞳でこちらを見てくる。はいはいガイラルディアですよと少しなげやりに返してみると、やがて覚醒した彼が、ガイラルディア、とつぶやきながらにこりと笑った。

「お前も一緒に寝るか?ここは寝心地がいいんだぞ」
「寝ません。それよりも部屋へ帰りましょう陛下、旦那が探してましたよ」
「げ、怒ってんのかあいつ?」
「いえ笑ってましたよ」
「怒ってんじゃねーか」

 ちょっと抜けだしただけじゃねーか、と唇を尖らせて文句を言うピオニーからふいと視線をそらして(あまりそういった顔はしないでいただきたい)皇帝というのは抜けだしたりしないと思いますよ、と他人事のようにつぶやく。ピオニーはそれにやれやれと肩をすくめると立ち上がり、両手を天に向かって伸ばす。そうした後で、えっくしょい、と大きなくしゃみをしてみせた。そしてずびと鼻をすするピオニーに、言わんこっちゃないと呆れたような視線を向ける。

「こんなとこで寝てるから風邪ひくんですよ、今日は風も冷たいし…」
「んーそうかぁ?じゃあ俺が風邪をひかないようにガイラルディアが俺を風から守ってくれればいい」
「至極簡単に言ってくださいますがね、陛下…」
「ガイラルディアが傍にいるだけで嬉しくて風邪のことなんざ忘れちまうよ」

 ほら、俺の傍にお前がいれば一件落着だろう?
 笑って、太陽のように明るく笑った顔を真正面から見たガイは不覚にも顔を染め言葉を失った。その矢先にも、金色の毛先を風が弄んでいた。



冷たい風


がいぴお。だと言い張りますが。