「もし俺が皇帝なんかじゃなくてただの一般市民だったとしたら、お前たちは旅についていくことを是としてくれただろうか」

 マルクトの皇帝九世が突拍子のないことを言い出すのはいつものことであったので、その皇帝の私室でぶいぶいとせわしく鳴く家畜のブラッシングをしていたガイは特に驚いた様子をみせることもなく返事を返した。

「さぁ、そもそも陛下が皇帝じゃなかったら俺たちに接点なんてなかったんじゃないですか?この世界に起こってる異変とかにも気付かなかったでしょうし」
「ん、それもそうか?つまりどうあっても俺はガイラルディアたちと一緒に旅をするのは無理だったというわけだな」

 ふむ、と少し考え込むようなしぐさを大袈裟にやってみせた男は、その後残念そうに息をついた。そして腕に抱いていたやわらかなクッションに顔をうずめる。

「どうかしたんですか?」
「いや、俺もいろんなところに遊びにいきたいなーと思って」
「俺達も別に遊びまわってたわけじゃないんですけどね…いえ、まぁ確かにケテルブルクのカジノとかには足を運んだりもしましたけど」
「あそこは遊びつくしたから今のところ興味はない。いや、ネフリーを一目見てくるだけでも価値はあるが」
「…まぁどちらにしても、遊びに行くのは難しいでしょうね」

 皇帝という立場ではなかなか私用でほかの国へ遊びに行くことは難しい。あるいは、ケテルブルクのようにピオニーのつくった娯楽施設などなら可能ではあるだろうが、彼が望んでいるのはそこではないのだろう。世界はもっと広い。

「今度ジェイドの旦那にでも相談してみたらどうですか?陛下が執務さえこなせば案外連れて行ってくれるかもしれませんよ」
「それはジェイドに監視されながら行けというのか?冗談じゃないあんな男と一緒に行っては楽しむものも楽しめないだろう!きっとついてすぐに「じゃあ陛下そろそろ帰りましょうか」とか言うに決まってやがる!」
「旦那すごい言われっぷりだなぁ…」

 わからなくもないけど、と心の中でつけ足してガイは乾いた笑みを浮かべた。口に出さなかったのは、ひょっとしたらどこかでその人物が話を聞いていたら、と想像すると恐ろしいからだ。そんな言葉をはっきりと口に出して言えるのはその男の幼馴染であるピオニーだけではないだろうか。

「それになぁガイラルディア」

 ガイが考え込んでいると、ピオニーが顔を上げる。

「俺はお前たち…いや、ガイラルディアと一緒に旅をしたり遊びに行ったりしたいんだ」

 にやりと、ピオニーが笑ってガイのことを見上げると、ガイは一瞬驚いたように目を見開いた。ガイラルディアと、というところをピオニーが強調したからだ。ブウサギのブラッシングの手を止めたガイを見ながら、彼にそんな表情をさせたことによし、効果は抜群だったなと内心ほくそ笑んでいたピオニーだったが、やがてガイはくしゃりと笑った。

「そうですね、陛下と旅をするのも楽しそうですけど、俺はこうしてのんびりとこき使われながら過ごすのも、悔しいけど案外楽しくて好きですよ」
「!」

 今度はピオニーが驚く番である。そんな笑顔を浮かべながら、意味は違えど好きだなどと言われてしまったピオニーは、即座に返す言葉をみつけられなかった。かわりに、再びぼすりとクッションに顔を埋めガイの視線から逃れようとする。
 なんということだ、むしろこちらが驚かされることになろうとは。ピオニーはふるふると肩を震わせていた。

「…この天然タラシめが…」
「お褒めいただき光栄ですよ、陛下」

 むごむごとクッションによってくぐもった声に、ガイは微笑みながら会釈した。



旅人


旅の話はなかったことになりました。