かつかつとジェイドがペンを走らせる音だけが室内に響く。それを珍しくもおとなしく、ソファの上でクッションを抱え込んだピオニーが見つめている。あの男は他人の視線が気にならないのかと疑問に思うほど、それは一途な視線であったが、ジェイドはやはり気にならないようだった。
 それよりむしろ、いつもはうるさくて仕方のないピオニーが大人しくしている方が気になると言えば気になる。が、気にしようと思わなければ一切気にならない、むしろ視界にすら入れないのがジェイドという男だった。

「ジェイドー暇ー」

 そう言ってジェイドの執務室にピオニーが乗り込んできたのは、もう数十分も前のことになる。
 突然の侵入者にまた執務をさぼってきたのかとジェイドが視線だけで問うと、ピオニーはへらりと笑って終わらせたという。やれば出来る人間であるのだが、常にはやらない人間なのだ。皇帝というのはそんな簡単に臣下の部屋に来るものではありませんよ、と言ったがピオニーには笑ってかわされるだけで、仕方なくジェイドは周りの物を一切思考から排除することで執務に取り組んでいた。もちろんピオニーという存在も外界と同じようにシャットアウトして、ほとんどいないものとして考えていた。
 そうして出会ったのが大人しいピオニーであった。思わずその姿を思考の中に留めてしまって、明日は雪でも降るんでしょうかねぇ、と思いながらジェイドはペンを走らせる。それともこの皇帝もやっとジェイドの言うことを理解したのだろうか。

(…それはそれで、なんとなく寂しいですね)

 ふとそんな風に思ってしまった自分をジェイドは嘲笑した。

「…時々な、俺が自由だったらって思うよ」

 ぽつり、と。

「…あなたは今でも十分自由にしてるじゃないですか、陛下」

 おとなしかったピオニーからの突然の内容に、ジェイドは思わず返事を返してしまう。しかし視線は書類に落としたままだ。その背後でピオニーはうーんと首をひねった。

「そうなんだが、そうじゃなくてだな」
「そこは認めるのですね」
「たとえば街に自由に遊びに行ったりな」
「私が知らないとお思いですか。時々変装して街に下りているのでしょう」
「なんだお前、知ってたのか?」
「これは驚きましたねぇ、私があなたのことで知らないことがいくつあるとお思いです?」

 相変わらず書面に向かったままにっこりと笑うジェイド。それを気配で感じ取ったピオニーは、下手をしたらすべて知られていそうな気がして、もっとおぞましいことがジェイドの口から出てくる前にそこでその話題を途切らせた。

「たっとえばー、自由に仕事を休める日があったりだな」
「今でもよーっく脱走して仕事をさぼっているのはどこの誰でしょうねぇ。まぁ今日は別のようですが。いいんですよ、別にその次の日に二倍の仕事をやってくださればそれでも。でもやってくださらないのであれば休みにするわけにはいきませんねぇ」

 はーやれやれそんな皇帝だから私の仕事がこーんなにたくさんになってしまうんですよねぇ、と当てつけのように卓上に積まれた書類の山を叩いてみせるジェイド。それをピオニーは見ないふりをして(いや実際見えていないのかもしれない)話を次に振る。

「たとえば俺が自由にー…」
「今日は珍しく静かにしていると思えばそんなことを考えていたのですか。例え話など考えるのはおよしなさい。考えるだけ虚しくなるだけ…」
「たとえば俺が、自由にジェイドを好きになってもいい、とかな」

 ようやくジェイドの視線が書面から外され、ピオニーへと移った。お、やっとこっち向いたなお前、と空色の瞳が細められる。
 小さく、息をついたあとジェイドが口を開く。

「…好きになるのはいつだって、今だって自由でしょう。ただ公言することによっておそらく自由が奪われるだけで。こればかりは貴方が皇帝である以上仕方ないでしょう」
「…わかってるよ。だから部屋に来るぐらいはいいだろう」

 会いたいと思った時に会いに来る、それぐらいは自由だろ。

(あぁもうピオニー貴方という人は)

 そんな遠まわしでなくとも会いたいならそう言えばいいのに、とジェイドは書きかけの書類に二言書きくわえると、そのままペンを置いた。そしてソファへと歩み寄る。

「ん?ジェイド、書類はいいのか」
「いいですよ、どちらにしろ貴方がいたら進みませんから」
「さくさく進めてたと思うんだがな」

 はいはい気のせいですよー、と言いながらジェイドはピオニーの肩に手を置きぐいと体をソファに沈ませた。げ、とわたわたと慌て始めるピオニーの耳元に唇を寄せ、低く流し込む。

「ピオニー、正直なところ私は公言しても全然かまわないんですよ。そんなのは個人の自由ですから。ただ貴方が困ると言うのなら…声、抑えてくださいね」

 廊下、部下たちがいますからね。
 にこりと恐ろしいまでに美しい笑みを浮かべて尋ね、…おう、と観念したかのように小さな返事が聞こえてきたのを確認してから、ジェイドはピオニーの唇に己のそれを重ねた。



自由に焦がれる


鬼畜眼鏡に愛されるのも、鬼畜眼鏡を愛するのも、自由だあぁぁああ!(ちょっと古い)
もっと阿呆な会話してるジェピも大好きです。