グランコクマの収容所にある牢獄は暗く湿っており、薔薇と称してもいいほどの美貌を持った自分にはまったく似合わないところだ、と男は思った。こんなところにこんな才能の持ち主を閉じ込めておくなんて損しかしていない奴らですね、と牢屋番の男に何度吠えてやろうと思っただろうか。けれどじっと耐えてきたのは、己が耐えることによってどうしても根を上げさせたい男が存在しているからだ。 その男、ジェイド・カーティスという、位はマルクト軍第三師団師団長大佐の陰険ロン毛鬼畜眼鏡。幼いころから積りに積った、いっそ恋慕にも近いこの恨みを晴らすことをなにより願って生きてきたのだ。そして願わくば彼を真の友情を築くのだと。 「ジェイド…約束を破った挙句こんなところに閉じ込めておくなんて許しませんよ!」 ギーっと叫んでみたがディストの声はむなしく牢屋にこだまするだけであった。だがそれを虚しいとは感じないのがこのディストという男だ。傷つきやすいが立ち直りの早いのが特徴で、その後すぐにジェイドを懲らしめる方法を頭の中で計算し始める。 ジェイドの弱点はなんだろうか。どうしたらジェイドに自分の偉大さを身にしみてわからせられるのか。どうやってジェイドに。ジェイドに。ジェイド。ジェイドジェイドジェイド。 ぶつぶつと、本人にその気はないのだろうが口に出てしまっている言葉は、本人が聞いていたら軽く譜術をかまされてしまう程に怪しい光景であった。しかし特別犯罪人としてのディストは一人個室の牢獄であり、誰もその姿を見ている者はいない。よって、止める者もいなかった。 「あぁジェイド貴方は昔からそうだ、私を囮にしたり巻き添えにしたり…」 過去の忘れがたい出来事を指折り指折り数えるディスト。数えても数えてもその内容が途切れることはない。それだけディストがジェイドによってないがしろにされていたというわけだが、それ以上にディストが執念深く覚えすぎなのも途切れない原因であった。 その耳にふと、何者かがこの牢獄へと向かってくる足音が聞こえた。食事の時間にはまだ早い、だとすると尋問でもするつもりだろうか。 しかし牢獄より少し遠くで番をしている兵とその足音の人物との会話を聞くに、どうやらやってきた男は位の高い男であるらしかった。 (まさか、ジェイド!) 詳しい内容は聞き取れなかったが、牢屋番の男が随分と敬意をはらっているらしいことが窺えて、ディストの心は期待に満ちていった。そしてついに牢獄へ続く扉が開かれる。 外から漏れる光が逆光となり、加えてディストの位置からは相手の顔は見えなかった。だがどこか懐かしい雰囲気が感じられて、これはジェイドだと疑わなかった。 「ジェイドですね、やっとおでましですか…」 「はっはっは、残念だったなぁサフィールー」 聞こえてきたのは想像していたあの人を小馬鹿にしたような、しかし低く心地の良い声でなく、間の抜けた楽観的な声。 「な…」 「いよーサフィール!相っ変わらずジェイドジェイド言ってんのかお前ー」 「ピオニー?!なぜ貴方が…じゃない、ジェイドが来ないのです!」 「ここは誰の国だと思ってんだよ。俺の国だぜ?」 へらへらとまるでこの湿った雰囲気にそぐわない笑みを浮かべ、片手を上げた金色の男にディストは思い切り肩の力を抜いた。あぁこの国にきて会いたくない男ナンバーワンだった、というのに。 そんな気持ちが表情に表れていたのだろう、ピオニーはそれに不満げな表情を浮かべた。 「んなあからさまな顔しなくてもいいだろうが、会いにきてやったっていうのに。これでもお前の待遇はいい方なんだぞー感謝しろ」 「頼んでませんよそんなこと」 「恩知らずだなぁ…まぁ、いい」 楽しそうにつぶやいて、ピオニーは近くの椅子に腰かけた。 「お前以外の六神将はみんな死んだそうだ。ロニール雪山に行ったジェイドからの知らせだ」 「そうですか。まぁあのジェイドに勝てるのは私ぐらいしかいませんからね」 相変わらずだなぁ、とピオニーは再び笑う。それが、まるでジェイドには勝てないから無駄なのにと笑われているような気がして癪だった。 「貴方に笑われるのは不愉快です」 「そうかそうか、そりゃすまん。だが俺は愉快だ」 からからと笑ってみせるピオニー。どうやらこちらの気分などお構いなしのようだ。その証拠に、こちらが不愉快だと言っているのにこの男は。 「久しぶりにお前に会えたってのに、愉快じゃないわけがないだろ」 相変わらずなのはどっちですか、少し、ほんの少しだけ嬉しいと思ってしまった自分の顔が見られるのが嫌で、ディストは視線を逸らし小さくつぶやいた。しばらくピオニーも、ふむ、と腕を組んで何かを考えている。そして思いついたように手を打った。 「なぁサフィール、六神将なんてやめてマルクトに帰ってこないか?歓迎してやるぞ」 「ピオニー、貴方は馬鹿ですか。言ったはずです、私は貴方が大嫌いなのだと」 「俺はお前のこと好きだぞ」 「っ…馬鹿馬鹿しい!勝手に言ってなさい!」 「お、照れてんのかサフィールー?照れるな照れるな、俺とお前の仲だろう?」 「親友だなんてのは貴方が一人で勝手に言ってることでしょうが!」 叫んでから、はっとした。何か余計なことを言った気がする。見たか、このピオニーがぱっと笑顔を浮かべたのを。 「幼馴染だろうと言うつもりだったんだが…そうか、親友、か」 「そ、そんなもんじゃないと言ってるんですよ!」 あぁ昔からそうだ、ディストは思うのだ。ペースなんてものはいつだって簡単に切り崩されて、気がつけば向こうのペースに乗せられている。こんな男大嫌いで、気にも留めないはずなのに。 「とにかく!用がないのならとっとと出て行ってください!そしてジェイドを寄越しなさい!」 「なんだよ俺じゃ不満なのかよ」 「当たり前です、だいたい皇帝がこんなところへ来るべきではないでしょう!」 あぁしまったまた変なことを言った。 「そうか、俺の心配をしてくれるのか優しいなぁサフィール」 「どれだけ前向きな脳味噌なんですがあなたは!」 ぜえぜえと息切れを起こすディスト。あぁからかいすぎたかとようやく思い至ったピオニーは、もちろん反省はしていない。ただかわりに牢に向かって手を差し伸べた。 「俺はいつでも待ってるから、マルクトに帰りたくなったら言うんだぞ」 眩し、い。 思わず、ディストはばんっとその手を払いのけた。一瞬止まったように感じた心臓は、すぐさまどくどくと脈が早くなっていった。 そんなディストの様子を不審には思わず、やれやれ強情な奴だと肩をすくめたピオニーは、また来るからなと言い残して去って行った。押し問答を続けていても話が進展しないことを知っているのだろう、ひとまずといったところだろうか。 ばたり、ドアが閉じられる。煩わしいまでに騒いでいった男の声がなくなると、牢は彼が来る前と同じようにしんと静まり返った。 (…危な、かった…) その牢の中で、ずるずるとディストは座り込む。 危なかった。あのまま手を伸べられたままであったら取ってしまっていたかもしれない。そんな優しい言葉をかけてくれたのは、幼馴染であったある女性と、そして彼、だけだ。 そんな優しい言葉を望んでいたわけではない。望んでいたわけではなかった、というのに。 「…二度と来ないでください、ピオニー」 己の心が折れてしまいそうで、怖かった。 恩知らずネビリムイベントをやっと終わらせた記念(でないのは間違いない)ディストはいじりがいがあって楽しいなー。 |