ゼロがツバキのことを追い回し始めて、一ヶ月ほど経過した。 結論から言えば、ゼロの気分は最悪だった。なにせ未だに、ゼロはツバキに対する決定的なダメージを与えられておらず、またその糸口も掴めずにいる。完璧で、天才。世間一般の評価は、ゼロの扱いに対しても同じ事が言えそうだ。 完璧であることに固執し、周囲に憚りなく完璧を自称するだけあって、確かにあの男はゼロが見ている限りでは常に完璧だった。訓練をすれば兵達の目を引き付け、戦場に出れば幾多の透魔兵を屠り、執務をさせれば完璧な書類を作り上げる。噂には大なり小なり、背ひれ尾ひれがつくものであるが、ツバキに関しては誇大された内容ではないらしい。なんでもそつなくこなす男を見ていると、本当に天才なのだと感心すらしてしまう。 (くそ…なんなんだあいつは) 本当に完璧なのか。どうあっても完璧を崩さないつもりなのか。 そんな人間はどこにもいない、と確信しているのに、あまりにボロを出さないツバキを見ていると自分の考えが間違っているかと思えてくるのだから、ゼロの意思というのも弱いものである。端的に言えばこれまでのことが全て自分だけの空回りだったのではと焦っているし、元より最低な自分の性格の悪さが更に際立つようで苛々としている。その焦りを表に出すようなことをしていないことについて、いっそ褒めてもらいたいぐらいだ。 (絶対に何か隠しているはずなんだが…) 磨きぬかれたゼロの直感を信じるなら、ツバキの内心が歪んでいる事はおそらく間違いのないことだ。同類のゼロが言うのだから間違いない。むしろ、ゼロほどあの執着心を理解出来る者はいないと思っている。 なのに、その歪みが表に表れてこない。もしゼロが誰かに、ツバキは俺と同じで相当歪んでいるぞ、と言ったとしても、本当にゼロは歪んでいるなという返事が返ってくるだけだろう。これはゼロの信用が地に落ちているからかもしれないが、ツバキの評判はとにかく高いことを意味している。 完璧に縛られていて哀れだ、などと偉そうなことを言ったが、実際のところ完璧であろうとして完璧でいられるなら、それは凄いことだった。強靭な精神力と、それを可能にするだけの能力が必要になってくる。なまじその力があるだけに、ツバキは完璧であることにこだわっているように思える。 とにかく、ゼロにとっては最悪な状態であることに変わりはなかった。 また何より最悪なのが、あれ以来、ゼロの心境にわずかに変化があったことだ。 ツバキに初めて会った時に感じた、劣等感を煽られ心臓が焼けるような激烈な憎悪の感情が、その身を心の奥深くへと潜めている。まったく消失したわけではなく、ふとした拍子に飛び出してくる可能性はあったが、それでも痛いほど惨めだった幼子のゼロは姿をくらましていた。自分と同じく歪んでいるのだという同族意識と、哀れだなどという同情や憐憫が、敵意を削いだのかもしれない。我ながら単純なものだ、とゼロは笑う。 今思えば、あれは気分の悪い時に話しかけられたことで、必要以上の負の感情をツバキに向けてしまったことも原因であったのだろう。白夜の者達の満ち足りた表情を妬み、しかしそれを口にするなと戒められ溜め込んでいたものが、ツバキの接近によって彼にのみ向けられてしまったのだ。 ――要するに、ツバキが話しかけてきたタイミングが悪かったのだ、と言えば、ツバキは理不尽だと憤るだろうか。 (いや、あいつはたぶん、笑うんだろう) いつものように、にこり、と。それを想像したらまた少し腹が立ってきた。 憎悪の感情が身を潜めてきたとは言ったが、ツバキの完璧な表情を崩してやりたいという気持ちがなくなったわけではなかった。むしろそれに関しては、前よりも大きくなっている気がする。 どうしてもツバキの浮かべるあの表情、とりわけ笑顔が気に食わず、思い出すたび胃の中がひっくりかえったようにむかむかとするのだ。 (あれはなんでだろうな…) 初めて会った時から感じていたその不快感について、ようやくその原因を突き詰めて考えだしたのは、一人で城の中を歩いていた時だった。 今日はレオンに付き従い、ゼロは朝から暗夜軍内での軍議に参加していた。そのため今日は日課をこなしておらず、この時間あいつは何をしているか、鍛錬が終わって軽く湯浴みでもして、そういえば今日は道具屋の店番の日だとか言っていたから開店の準備でもしているだろうか、などと滔滔と考えながら、自室へと戻る途上だ。 (表情から感情が読めないから、ってのもあるが…もっと違う気が、する) どうしてもツバキの浮かべる笑みは、ゼロの心を刺激してならなかった。自分よりも幸福そうな相手の笑みだから嫌い、というわけではない。ツバキの笑みを見ると、反射的に湧き上がる負の感情があった。それは心の片隅で常に違和感となって、ゼロにまとわりついている。この感情を表す理由をうまく説明できず、それこそが不快の原因になっているのかもしれない。 (俺に何言われてもずっと笑ってるからおかしいのか?本当にわからない男だよあいつは) そうして悶々と考えながら歩いていると、ふと、見慣れた茜色の髪が中庭の片隅になびいているのが見えた。瞬時に、あいつだ、と何の疑いもなく判別できてしまうほどには、ゼロはもう長い間ツバキを監視し続けているのだ。 店番ではなかったのだろうか、商品の調達か、あるいは誰かに代わってもらったのか、と考えながらも、まるで光に吸い寄せられる虫のごとく、ゼロは気配を殺して声が聞こえるところまで近寄り、近くの柱の陰に隠れた。 ツバキはなにやら兵士と話をしているらしく、ツバキ以外の気配が一つあった。最近はしつこいほどに彼と一緒にいることが多いのでわかったのだが、一般兵にも分け隔てなく完璧に接するツバキは、兵たちからの信頼も厚く、よく頼りにされているようだった。今回もその類であろう。 兵との会話に気を取られているからか、ツバキは近づいていくゼロには気がついていない。いつもはこちらがツバキの姿が見えるところまでくるとすぐに見つかってしまうのに、これ幸いと物陰に隠れて様子を伺う事にした。 「――なるほど、それは大変かなー」 「えぇ、私たちだけではどうにも出来なくて…ツバキ様のお力をお貸し願えればと思っているのですが…」 「うん、わかったよー、じゃあそれは俺がなんとかしておくねー?」 「本当ですか!ありがとうございますツバキ様!」 「いいよいいよ、完璧にやっておくからさー」 聞こえた内容からすると、ツバキが何か頼まれごとをされたようだ。上に立つ者として、一般兵からの要望にまで対応しようとするのは褒められたことではあるのだが、ゼロから言わせてみればそれはツバキがやらねばならないことなのか、ということだった。 (どうせまた、完璧にこなそうとするんだろ) 何を頼まれたか知らないが、ご苦労なことである。ただでさえゼロに絡まれて面倒な思いをしているだろうに、そこまで何を背負い込もうとしているのかゼロには理解出来なかった。そもそも完璧にこだわるあたりがすでにゼロの理解の範疇を超えているのだから、その感想は今更なのかもしれない。 (というか、そんなやつらにお優しく対応するなら、俺にも少しぐらい優しくしてくれてもいいんじゃないのかね) 何を思ったか、ゼロはそんなことを愚痴りそうになった。二人の会話を聞いて、無意識のうちにそんな考えが脳内によぎったのだ。 ゼロは己の言葉を脳内でぼんやりと繰り返し、ようやくその意味を理解すると、はっと我に返ってぶるぶると頭を振った。 (っ、いやいや、あいつが俺に優しくするとか有り得ないだろ…) 少なくとも、ゼロがツバキの立場であればそんなことはしない。明らかに敵意を持って接してくる相手に、どうして優しくなど出来るだろうか。思い浮かんだ内容をゼロは笑い飛ばそうとした。 (…いや、待てよ) だが完璧にこだわるツバキならばあるいは――とゼロは考える。どれだけ嫌っている相手だろうと、ツバキは己が「完璧」であるために、相手が味方であるのなら優しく接してくるのではないだろうか。それがゼロであろうと、誰であろうと。 なぜだかそれが気にくわなかった。 (…?) 生まれてから身に覚えのない感情に戸惑い、ゼロははてと首をかしげた。怒りや妬みは一通り体験してきたはずだが、このじりりと胸の奥を焼く感覚は一体なんであろうか。 考えていると、話が終わった兵士がツバキに向かって深々と礼をしたため、ゼロはとりあえず考えるのをやめて動向を見守ることにした。兵士はもう一度ありがとうございます、と言って、ゼロが隠れている回廊の柱とは反対の方向へと走り去っていく。それを見送っているツバキは、いつものごとくにこにこと笑顔だった。 (やっぱりなんか気持ち悪いんだよなぁあの顔…) ツバキの顔が整っていないというのではなく、どこかむず痒い。今だってゼロの心の暗い場所をぴりぴりと刺激するような感覚がある。 そう思いながら、ゼロはじっとツバキのことを見つめていた。凝視していた。何が原因なのか必死に探そうとしていた。それは憎悪や嫌悪からくるものというよりは、興味に近いものだ。これまではなんとなく気に入らない、で流していたはずのものが、一度気になりだすと気になって仕方がなくなってしまった。しかも相手に気づかれていない状態でツバキを観察するという現状は滅多にないことで、ゼロはいつもにまして慎重に様子を窺っている。 やがて兵士が完全に走り去りその姿が遮蔽物で見えなくなると、ツバキに変化があった。ツバキはまず、ふ、と笑みをかき消した。ゼロと対する時に必ず浮かべていたはずの笑みを、である。それだけでも珍しいのに、次にツバキの顔に浮かんだ表情が信じられず、ゼロは思わず身を乗り出して見つめてしまった。 言うなれば、花弁ごと地に落ち泥にまみれた椿のように、あるいは首を落とされた罪人のように。 まるで生気が感じられなかった。その瞳に宿した光は弱く、疲れきったように頭を垂れて地面を見つめるあの男は一体誰であっただろうか、とわが目を疑うほどだ。 更には、はぁ、と深く重いため息をつき、いつもならぴんと伸ばされた背中も心なしか曲がっているように見えた。憂いを帯びた瞳は伏せられ、長い睫毛が目元に影を作っている。 (…なんだよその表情は) こんなツバキは知らない。見たこともないし、噂でも聞いたことがない。これは本当にツバキであろうか。あれほど完璧に固執していた男が、これほど完璧とは程遠い姿を見せるなど、これまで何を言っても笑顔でかわされ続けてきたゼロには思いもよらなかった。 だが――と、ゼロは唐突にあることを思いつく。 (もしあれが、ツバキの本当の顔だとしたら――?) 一つ、仮定してみる。 ツバキはいつでも、穏やかに目を細め、口元をゆるりと持ち上げて笑っていた。他人と接する時、天馬と触れ合う時、敵と戦う時ですら余裕を崩さず、かすかに笑みを浮かべているのがツバキという男だ。それは何事にも焦らず、慌てず、怒らず、完璧であろうとするツバキの意思の表れであったのだろう。 しかし今、その完璧が一瞬にして消え去り、浮かび上がったのは普段とは正反対の表情だ。本人は、誰にも見られていないと思って気を抜いたのかもしれない。つまり、今の顔が他人には見せる事のなかった彼の素顔であるならば、完璧で見事で、誰からも好かれるようなあの笑みは――。 (笑顔というよりは、むしろ無表情のようなもの――か?) いまだ変化のないツバキを眺めながら、ゼロは必死に思考を回転させた。 ツバキは完璧を志し、常に笑顔であるようにと生きてきた。それは人間関係でいざこざを起こさず、完璧な友好関係を構築する有効な手段だったのかもしれない。 (…そう、あの笑みは手段だ) ツバキが完璧でいるために身に付けた手段の一つだ。無意識のうちに、無感情のままでも笑顔を浮かべていられるようになっているのだ。そんな中、いつしかツバキは笑みを浮かべている姿が日常になってしまい、人目にさらされる場所においては本来の表情というものを見せることがなくなっているのではないだろうか。 そこまで考えて、ゼロは一人で納得する。 (そうだ、だから気持ち悪いのか) それはゼロの見解にすぎなかったが、今までに思い至らなかった新たな見識を得て、ゼロはもやもやとしていた心の闇が一つ取り払われた気がした。笑顔なのに感情が伴わない不自然さ、その違和感がゼロを苛立たせていたのだ。 そう思えば笑顔にのみ不愉快なものを感じていた理由も説明出来る。表情から感情が読めないのが悔しくて嫌悪していたわけでなく、無意識のうちにツバキの笑みが貼り付けた不自然なものだと感じ取っていたのだろう。 ただしその考えでいくと、やはりツバキは相当に歪んでいた。相手を不快にしない歪み方のためそれが発露することはないが、はっきり言って異常だ。ゼロが言えた立場ではないのだが、ゼロにそこまで言わせるのはどう考えても普通ではない。 (…何があいつをそうさせている?) ツバキはゼロなどよりよほど恵まれているのではなかったのか。心が歪んでしまうような環境で育った、などという話は聞いたことがなかった。だが、あれほど付きまとっていたゼロにこれまで素顔を一度も見せていなかったことを考えると、もっと深い闇を抱えているのかもしれない。 (…考えていても仕方ないか) とりあえず得られる情報はここまでだろうと、ゼロはゆらりと姿を現しツバキに声をかける。 「おい…」 「ひゃっ!?」 びくり、と大きく肩を揺らすツバキに、声をかけたゼロも驚いて目を丸くした。 (…今、こいつ) ひゃ、などという随分と情けない声を上げなかっただろうか。しかも普段よりも少し、いや割と上ずった声で。聞いたことのない声だったからか、不覚にもゼロの心臓もどきりと跳ねてしまった。そんなに驚かれては、何か悪いことでもしてしまった気分だ。 顔を上げ振り向いたツバキは、ゼロの姿を視界にとらえるとわずかに瞠目して、ふぅと安堵の息を吐いた。何を思って安心したのかはわからないが、そこまで驚かねばならないほど気を抜いていたということだ。だからこそあの素の表情が出てしまったのだろう。 「なんだぁーゼロか…いつからそこにいたのー?」 「今通りかかっただけだ」 「もう驚かせないでよねー」 「…でもお前、いつもならすぐ気がつくだろ」 どれだけゼロがこっそりと近づいてもすぐに気が付いてにこりと微笑む男だろう、と言外に責めると、ツバキはふふんと笑ってみせた。 「それは当たり前でしょ、いつもはゼロに見られてるって意識してるし、ゼロって敵意ダダ漏れだからさー」 「…へぇ、俺のこといつも意識してくれてるのか?」 にやりと笑って言えば、ツバキは呆れたように肩をすくめた。ゼロのせいで仕方なくそうなってしまったのだ、とでも言いたげだ。まぁ、そんなことはゼロもわかっている。わかっていてわざとそんな言葉をかけるのだ。 だがふと、ツバキは口元に浮かべていた笑みを消し、ゼロのことを見つめてきた。そして心なしか寂しげな瞳をしながら、ぽつりとつぶやく。 「ゼロっていつも楽しそうだよねー…」 「…は?」 突然言われた言葉が理解できず、ゼロは間の抜けた声を上げた。うーん、と軽く首をかしげてツバキは続ける。 「自分の言動全てに自信たっぷりで、自分の欲求に素直って言うか、嘘偽らないっていうか…ゼロの言動は尊敬はしないけど、そこだけはすごいなーって思ってさー」 「…お前が、俺のことを」 「そう、すごいねーって」 目の敵にしている男から突然褒められて、ゼロは柄にもなく焦っていた。冷静になって考えれば今のは褒められたのかどうか微妙な発言であるのだが、すごい、という言葉にどきりとしてしまった。 (なんだ、ひょっとして驚かされたことに対する嫌味か?) 猛烈に仲が悪いはずの相手を褒めるなど、その意図は一体なんだ。嫌がらせか。それとも褒められて悦んだゼロに対して、そんなもの嘘に決まっている、と笑うためのものなのか。自分がツバキに対して用いた手段なだけに、そうかもしれない、とゼロは考える。 「あのさー俺はゼロと違うからこんな嘘つかないよー?」 ゼロの心を読んだように、ツバキが笑う。 「俺は…ゼロと違って、偽らずにはいられないからさー…」 「どういうことだ?」 ふと、声色から勢いがなくなり、どこか遠くを見るような視線をするツバキの様子に、ゼロは怪訝そうな瞳を向けた。隣に立つ自分よりも大きいはずの男が、急に小さく見えたのだ。いつもの笑みを消してみせたり、過剰に驚いてみせたり、今日のツバキは何かおかしい。 そんなゼロの視線に気がついたのか、誤魔化すようにツバキはにっこりと笑った。 「とにかく、その点だけはゼロのこと羨ましく思ってるんだよー?」 「羨ましいって…」 おかしなことを言う男だ。ゼロの持っていないものを何もかも持ち合わせているくせに、そのゼロを羨ましがるなどとどの口が言うのだろう。以前のゼロであれば、そう思ってツバキへの嫌悪感を募らせていたことだろう。だが今は違う考え方が出来るようになっている。 ツバキがそんなことを言うのは、この男の持つ歪みが関係しているのだろうか。そして、今の言葉がツバキが心の中で思っていることだとしたら――。 「ツバキ、お前」 「あっと、そうだ俺用事があるんだった!ごめんねゼロー俺行かないと」 はっと思い出したようにツバキは声を上げると、慌てた様に小走りで去っていった。追及から逃げたようにも思えるが、先ほどの会話を聞いているため、確かに用事はあるのだろう。 引き止めて真意を確認すべきかとも迷ったが、結局ゼロはツバキを見送った。そしてそのまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。 (偽らずにいられない、か…) その言葉で、ゼロの推測は確信へと近づいた。誤魔化されてしまったが、ゼロは興味を持った対象に関して、一度聞いたことは忘れない。 ――偽っているのは、己の本当の顔か。 先ほどのツバキの表情が、脳裏に焼きついて離れなかった。 それ以来、ゼロのツバキを見る目は変化した。 「今日も熱心なことだな」 「やぁゼロ、ゼロこそいつも見に来て大変だねー暇なの?」 「お前がいつ完璧を崩すか楽しみで仕方ないんだ」 「やっぱり暇なんだねーそんなありえないこと待ってたら一生が無駄になっちゃうよー?」 「俺のことを心配してくれるなら早く素直になっちまえよ、心も身体も裸になればいい」 「素直も何も今の俺が普通の俺だよー相変わらずわからないこと言う人だよねー」 翌日の日課において繰り返される会話は、いつもと何も変わりない。哀れな二人のくだらない言葉の応酬だ。 けれど、ゼロはいつもと違う思いでツバキのことを眺めている。 ――今浮かべている表情は、果たして心からのものなのか、完璧であろうとして浮かべている表情なのか。 そうして全てを疑ってかかる見方をし始めると、ツバキの表情は常に貼り付けられたような、微妙な不自然さを伴っていることがわかるようになった。これはツバキの素顔――だとゼロは思っている――を垣間見たゼロだからこそ判別出来ているのだろう。なにせツバキの笑みは確かに完璧だ。もしツバキに執着していなければ、ゼロもこの笑みに絆されていたかもしれない。 唯一、ゼロに対して辛辣な言葉を発するときは、少しだけその仮面が緩んでいるように見えるが、それもすぐに取り繕われてしまう。大層な仮面をつけているものだ。ツバキの言った偽りとは、おそらくこの仮面のことで間違いないのだろう。 何故これほど恵まれているはずの男が、これほど己を押し殺しているのか、ゼロは不思議でならなかった。ツバキの素を見てしまったからか、妬みや恨みより、そのことが頭について離れない。これまでとは全く別の意味でツバキに執着しているのを自覚し、ゼロは頭を抱えたくなった。 (なんで俺がこんなに気にしないといけないんだ…) 忌々しく思うが、気になるものは気になるのだから仕方がない。というよりも、気にする必要などない、と思ってすぐに思考を切り替えられるならとっくにそうしている。それが出来ないから困っているのだ。 (くそ、調子が狂う…あんないつもと違う顔なんて見せるからだ) そんなことを思いながらもツバキの顔色を伺い初めて数日が経過すると、ゼロの眉間にはますます皺が寄るようになった。ツバキのことを気にし続けている自分自身に苛立って、というのもあるが、ツバキという男がどうしてもわからないのが大きな理由だ。 ツバキの事がわからないのは今に始まったことではない。それでも、以前よりはツバキについて詳しくなったと自負している。自負しているからこそ、疑問として認識できるようになった、というのが正しいのだろう。 ――ツバキの本心はいつ表に出ているのか。 今気になっているのはそこだった。 なるほど、確かにツバキがいつも浮かべる表情は、完璧に飾るためのものだ。それはわかった。だがいつも完璧であるようにと作り上げた笑みを浮かべているのならば、本当の表情はいつ浮かべているのだろうか。少なくともゼロが見ている時は、常にあの笑顔だった。もし彼が自室でしか本来の自分を出せていないのであれば、ツバキは眠る前の僅かな時間と、起きた後の少しの時間しかくつろげていないことになる。 そんな精神的負担の大きな生活をしていて、なおツバキは日々を完璧にこなしている。信じられない精神力だとゼロは正直驚いていた。 (本当の顔…) この間のツバキの表情を思いだす。随分と疲れているようだった。もしかしたらツバキも、今の生活に疲れているのかもしれない。そのせいで、今まで隠し通していた素の部分をゼロに見られることになったのではないだろうか。 (何を思って生きてるんだか) 改めて、ゼロはツバキという男についてわからないことだらけだと確認した。 ゼロや他の皆が見ているのが作られたツバキの姿であるなら、ゼロ達は正しくツバキという男を理解出来ていないことになる。誰もみな「完璧なツバキ」という男を知っているだけだ。 では本当のツバキとは何者か。 どんな性格で、何のために生きているのか。なぜ偽らなければ生きていけないほど、完璧という概念に囚われているのか。逆に完璧でないツバキは、もはやツバキではないのだろうか。なぜツバキはそこまで完璧を貫いていられるのか。なぜ――。 (あぁもうツバキツバキとうるさいな!!ちょっと静かにしてろ!) なぜ何どうしてと繰り返す己の思考が煩わしくて、ゼロは一人でわめきたてた。 自分で考えといてそれはないんじゃないかな、という主君の冷静な声が頭に響いたが、心が痛むので聞かなかったことにした。 <<2 4>> |