最近、スカサハは自分でも良くわからないのだが、不意にどうしようもない苛立ちを覚える時があった。 そして、それはいつもスカサハの視界にシャナンが入っている時だ、ということに気が付いたのはまだつい最近のことだ。 スカサハには双子の妹がいる。名をラクチェといい、二人は生まれてからこれまでずっと一緒に育ってきた。 ラクチェは親譲りのその勝気な性格からか、スカサハや男達に混じって剣の稽古も受けていたため、必然的に二人が共に行動する時間は多かった。シャナンに剣の稽古をつけてもらう時も大体が二人で頼みに行くことがほとんどだった。 なのに例えば、ラクチェとシャナンが二人だけで自分を外して話しているのを見かけると、一瞬むっとした気持ちになる。シャナンがラクチェだけに穏やかな目を向けて、そしてラクチェの表情が生き生きとしているとそれは尚のこと強くスカサハを襲った。 その感情の理由がいまいちスカサハにはわからなくて、今までずっと一緒に育ってきたから一人ラクチェに置いていかれてしまったような、仲間はずれにされたような感覚がそうさせたのだろうと思うことにしていた。それも随分と幼稚な感情であるとは思ったが、今の所それ以外に思いつくものはなかったからだ。 それはそれで片付けるとしよう。 しかし不可解な感情に襲われる時はまだあった。 例えばその時は、ラクチェとは四六時中共に行動しているわけでもないので、スカサハは一人で廊下を歩いていた。窓から見える月は高く昇り、スカサハの顔を照らす。そこでふと窓の下を眺めた時、そこに人影を見つけたスカサハは思わず彼を見つめていた。 月の光に照らされながら下の庭を歩いていたのは、シャナンだった。常々彼には日光より月光のほうが似合うと思っていたスカサハは、シャナンの髪がなびき月の光に照らされるのを見てやっぱりそれが正解だったなと思う。 ――そこまでは良かったのだが。 「……」 暫く眺めていた後に、それは湧き上がって来る。 人の気配には敏感なはずのシャナンが、遠くの位置から眺めているスカサハに気づかないと無性に悔しい気分になるのだ。 (こっちはこんなにも見てんのにな……) 我が侭であることはわかっているし、気づかないほうが普通なのだから仕方のないことだ。それでもなんとなくそう思ってしまう理由が、まだスカサハには理解できない。 結局スカサハに気づくことなく視界から消え去ったシャナンを、スカサハは恨めしげに思い出すのだった。 (……で、結局、俺は何をどう思ってるんだ?) そして今に至る。スカサハの目の前ではシャナンとラクチェとが木刀を使って打ち合っていたが、ちょうど今シャナンの鋭い一撃によってラクチェの手から木刀が宙に打ち上げられたところだった。 「ふむ……だいぶ筋はよくなってきたな。だが左から斬りかかる時にまだ隙がある」 「はい、シャナン様。次は気をつけますね!」 「あぁ。あまり無茶に突っ込んでいくことは考えないほうがいい」 シャナンからの言葉をラクチェは嬉しそうに聞いている。負けたというのに良い笑顔だ。闘争心がないわけでなく、むしろスカサハに負けた時などははっきりと悔しそうな表情を浮かべることが多いというのに、随分な差だった。 そして、ラクチェの視線がシャナンに向いている間はやはり自分のことが忘れられているようで、スカサハは近くに座り込みながら何か釈然としない気持ちでぼんやりそれを見ていた。 (シャナン様のことが嫌い?いや、そんなわけないし) 考えてみて、すぐに頭を振る。シャナンのことは尊敬しているし、嫌いになどなるはずがない。大体嫌いだったらわざわざ稽古をつけてもらおうとも思わないはずだ。 では一体何が――思いながらスカサハが首をひねっていると、シャナンから声がかかった。 「よし、次はスカサハ、お前だ」 「あ、はい!」 その声を聞くと沈んでいた気持ちが急に浮上してきた。現金なものだがシャナンの声が自分にかかると非常に嬉しい気持ちになった。やはり仲間はずれにされることが悲しいのだろうか、そんなことを思いながら立ち上がろうとしたスカサハは。 (ん?) そういえばその感情の正体に、思い当たるものがあった。思い当たるといっても理解したわけではない。ただ前に誰かがそんなようなことを話していたのを思い出したのだ。 名前を呼んでもらえると嬉しい。 誰かと一緒にいるのを見ると苛立つ。 自分のことに気づいてもらえないと悲しい。 「……ん?」 はたと気づく。 それは一種の独占欲。 自分を見て欲しいと願う、欲望。 「………ん?」 これは。これはひょっとすると。 だんだんと鮮明になってくるその感情の正体に、スカサハの行動は完全に停止した。 「どうした、スカサハ?」 「……あっ、いえ!!」 いつの間にすぐ傍まで近づいてきていたのか、スカサハが行動を止めたことをいぶかしんだシャナンがスカサハの顔を覗き込んだ。それを真正面から見たスカサハははっと意識を引きずり戻され、慌てて首を左右に降ると急いで立ち上がろうとした。 だがその際に随分と慌てていたのだろう、足元の石に気づかないまま立ち上がろうとぐっと力を入れると、角が取れて丸っこい石は見事にぐるりと一回転し、盛大にスカサハを転ばせた。良いのか悪いのか、おそらく悪いのだろうが、シャナンの方へ。 「うわ……っ!」 「おいっ……!」 気づいたスカサハが体勢を立て直そうとするが、すでに遅い。前のめりになって倒れる中、何か掴むものはないかと宙をさまよったスカサハの手は、図らずして目の前に居たシャナンの両肩にかけられた。 その行動に多少慌てたように声を上げたシャナンは、なんとかスカサハを支えようとしたが、咄嗟のことも手伝ってか勢いのついたスカサハを止めることは出来なかった。そのまま二人の体は重力に逆らわず、地面へと倒れこんだ。 「ちょ、シャナン様!!スカサハ!?」 驚いて駆け寄ってきたのはラクチェだ。目の前で二人が倒れれば、それは驚くだろう。スカサハもまた、シャナンを下敷きにしたせいかあまり衝撃は感じず、さあっと顔から血の色を引かせてすぐさま立ち上がった。 「す、すいませんシャナン様!!大丈夫ですかっ!?」 いや、大丈夫なものか。声をかけ手を差し伸べながらもスカサハはそう思った。何しろ人一人の体重を受け止めたまま地面に倒れこむなどかなりの衝撃があったはずだ。 なんと情けなく申し訳ないことをしてしまったのだろうかと、スカサハは大層心配した面持ちでシャナンの次の行動を待った。最悪、怒声の一つや二つ、あるいは鉄拳制裁さえも覚悟はしている。 しかし、ゆっくりと上体を起こしたシャナンの顔には、呆れの色が浮かんでいるだけだった。 「……石ぐらい注意して立ち上がれ、馬鹿者が……」 「すいません……!」 さすがはシャナンとでも言うべきか、上手く体勢を変えて衝撃を逃がしたらしい。命に別状はなさそうだとほっとするスカサハだったが、それでも多少は背中が痛むのかシャナンは眉間にしわを刻み込みながらスカサハを睨みつけた。それからスカサハの伸ばした手に自分の手を伸ばし、そして掴んだ。 その行動にスカサハは思わずどきりとした。手を差し出したのは自分だというのに、手に熱が触れた途端、急に引っ込めたいような慌てた気分になったのだ。 そんなスカサハの心の動きを感じたのだろうか、シャナンは怪訝そうに眉をしかめる。 「どうした、今日のお前はどこか変だな?」 「そ、んなことありませんよ」 「……まぁ、いい」 深く追求することでもないと思ったのかシャナンは小さくつぶやいて、スカサハの手をぐ、と引っ張り立ち上がった。それを見ながら、心臓をどきどきとさせたまま、スカサハは思う。 自分の手をシャナンが握っている。 たったそれだけの行動だというのに、スカサハにはそれがひどく嬉しいことのように思えた。こんな状況で不謹慎だとは思ったが、怒られなかったことよりなにより、それが嬉しかった。 (あー……やっぱ、俺) 間違いない。 ひょっとすると、なんて不確定な言葉で誤魔化すことも出来ない。 (シャナン様のことが好きなんだな……って、今更か……!) まったくもって今更すぎたその結論にたどり着いたスカサハは、今度はまた別の意味で悶々とすることになるのだが、この時はまだそのことに気づいていなかった。 己の心知らぬは不愉快な今更だよ。自分で書いといてなんだが今更だよ。私の書く攻めにはあと一歩の押しがないというか。積極性が足りなさすぎる。頑張れ若者。いや、若者じゃなくてもいいんですけどね。 |