月を背負うように細い枝の上に身軽に立つ男は、まるで書物で読んだ天神族のようだとぼんやりと考えていた。
 夜中にふと目が覚めて体を起こすと、ちょうど窓から外が見える。なにともなしに視線を走らせると、普段は枝の影しか見えぬそこになにやら不審な影を見かけた。ちらりと視線をずらしてみると、その枝の上にその男が立っていたのである。
 男の頭と思しき場所からは一対の羽のようなものが生えている。それが夜風にふわりとなびき、そういえば書物の天神族もあんな風だった、と目を細めた。
 あれはなんであろう、とぼんやりと眺めるほどに、頭の中の天神族のイメージとその男とが重なっていく。なまじ知識の量を持っているサマイクルにとって、頭の中の知識が世界を構成するほぼすべてなのである。
 いやしかし天神族は大昔に滅び、今はもう存在していないと聞く。ならばあれは違うのだろうと、サマイクルは思考を放棄した。彼が阿呆でないのは知識がすべてでないと、切り捨てるのが早いことであろう。
 ではあの影はなんであろうかと考えているうちに目の冴えてきたサマイクルは、影がこそりと動いたのを見逃さなかった。月を背負う男の表情はサマイクルの位置からは見えない。ただ黒い影となって動きを知らせるだけだ。
 一度でいい、こちらを向かぬものかと考えながらもなぜか近づくという行動はとれずにいた。この位置だからこそ、あの人影は枝の上にとどまっているのだと、なんとなくそんな気がしていたからだ。

 しばらく静寂が夜を包んだ。森に棲む鳥も虫さえも寝静まっているようだ。
 やがて再び影が身じろいだかと思うと、続いてサマイクルの耳の奥に澄んだ笛の音色が響き渡ってきた。音を確かめるように最初は短く、それからしっかりとした音が闇に溶け込んでサマイクルの耳まで届く。
 ―――あの人影が吹いているのだ。
 直感的にサマイクルは思った。理由はわからない、けれど疑うことをしなかった。
 奏でられる音色にサマイクルは目をつむった。美しい、けれどなぜか悲しい音色だと思った。
 ―――ひょっとしたらあの人影は、月よりももっと大きくてもっと暗いものを背負っているのかもしれない。
 かすれゆく記憶の中、サマイクルは笛の音に誘われるように眠りについた。


(どうかあの人が、悲しみから逃れられますように)




出会いすらしない二人のお話。なんだそれは。