ぴぃんと身体を取り巻く冷たい空気が、まるで個体であるかのようにはっきりと感じられるほど張りつめている。さらりと流れる己の髪の感覚さえ、研ぎ澄まされた神経は敏感に拾い集め、少しだけ邪魔だな、と思った。 動くことさえ躊躇われるかのような緊張感の中、ざり、と足もとの雪を踏みつる。けれどすでに踏み固められたそこはそれ以上沈むことがなく、だからこそ体勢を立て直すことができた。ぐ、と地面を踏みしめてわずか体を後方へと引く。 両足をしっかりと大地につけた、その安定した状態でサマイクルは前方を力強く見据えた。 視線の先にはサマイクルと同じく動物をかたどった仮面をつけた男が、同じく剣を構えてこちらを見ている。相変わらず鋭い殺気を出す男だ、とどこか他人事のように考えながらも、一瞬たりとて気を抜くことは許されなかった。いくら鍛練とは言え下手に手を抜けば大けがを負うし、手を抜けるような相手ではない。抜けば後で怒られることも目に見えていた。 「来い、サマイクル」 「お前からだ、オキクルミ」 短くつぶやかれる会話によって、張りつめた空気が揺れる。互いの名を呼ぶ普段通りの行動さえ、その場を張りつめさせる一因にしかならなかった。 そもそもいつもならば痺れを切らしたオキクルミの方から襲いかかってくるのが常であるのに、今日の彼はそうではない。ならば自分から踏み込んでいくべきか、と考えるが、オキクルミという男が故意にこの緊迫感を楽しんでいるようにも見えて、ならばそれに乗ってやるべきなのか、とも考えてしまう。 「珍しく我慢強いな、オキクルミ」 「たまにはお前から踏み込んでくるのを待つのもいいだろう?」 「辛抱強さを手に入れたお前を褒めるべきか、いつからお前らしさを失ってしまったと残念がるべきか…」 剣を握る手は汗で滑りそうなほど緊張はしているのに、不思議と口は動く。この状況で軽口を叩けるのも相手が良く知ったオキクルミであるからだろう。 「お前に満面の笑みで褒められるのは悪くないかもしれんな」 「…満面の笑みの我など気色悪いだけであろう?」 「ならば元の俺に戻ってくれと泣いて懇願するか?」 「ふざけるな、そんなことをするぐらいなら…こちらから踏み込むことにしよう」 雑談は終了だ、という意味を込めて剣先をすっとオキクルミに向けると、オキクルミもフンと鼻を鳴らして剣を改めて構えなおした。 一瞬にして周囲の風が冷気を取り戻したように冷たく感じられる。まったく手合わせ中に馬鹿な会話をしているものだ、と客観的に自分たちを見直してみて小さく笑う。 「行くぞ」 小さくつぶやいて、いざ踏み込もうと手足に力を入れた時だ。 「ねー村長」 可愛らしい、声、が。 「!?」 思わず静止して、音源を振り返れば、いつの間にやら二人から少し離れた位置にちょこんと座っている少女の姿がある。それにサマイクルはびっくりして構えていた剣をおろした。 「ぴ、ピリカ…?」 つい先ほどまではいなかった、はずだ。子供がいるような場所でこんな殺気の出し合いをしたりはしない。けれどあまりに集中しすぎてピリカが近づいてきていたことに気付かなかったということか。 なんと言葉をかけようか、と戸惑うサマイクルの前でよいしょと立ち上がったピリカがてくてくと歩み寄ってきて、無邪気に笑う。 「村長変な顔ー」 「…面の話か?」 「ううん、面の下の話。ね、村長、それよりもちょっとお願いがあるんだけど」 「…カイポクかトゥスクルにでも頼みなさい」 この子は空気の読めないような鈍感な子だっただろうか、と思いながらなるべく優しい声色で話しかけてみるが、少女はぶんぶんと顔を左右に振る。 「村長がいいのー」 「いや、我は…」 「村長ー」 「…ならば少し待ってなさい、今我はオキクルミと…」 「えー」 今がいいの、とサマイクルの服の裾をつかんでばたばたと上下に動かすピリカ。 「こ、こらピリカ、風が入って寒いだろう!」 「えー」 「えーじゃなくてな…とにかくそこは危ないから離れてなさい、お前に怪我をさせてはカイポクに何と言われるか…」 「だったらピリカのお願い聞いて」 「いや、だから少し…」 「じゃあここで見てるもん」 そう言って座り込んでしまう少女に、サマイクルはもう次の言葉がつむげない。 どうしていつも強く出られないのだろう、我が儘を言うんじゃないと強く言い聞かせるのも村長の役目ではないのか、という考えがぐるぐると頭の中を回るがやはり言葉が出てこない。というか説き伏せる自信がない。 座り込んだままのピリカが、こちらを見上げてそれはもう可愛らしい声で。 「お願い聞いてくれる?」 尋ねてくるものだか、ら。 さて所変わって一人蚊帳の外に追い出されたかのごとく、びゅうと吹く風にあおられる男オキクルミ。おかしいな先ほどのあの殺伐とした緊張感は一体どこへ吹き飛ばされてしまったんだろう、とぼんやり立ちつくして村長と少女の姿を眺めている。 「…俺だってあいつにお願いを聞いてもらいたいんだが」 それはもう色々と。ただし自分がお願いなどと言っても、気色悪いと切り捨てられるだけだろう。けれど。 「…俺もあれぐらいわがままを言ってみてもいいだろうか」 「やめときな、相手にされないのがオチだね」 独り言だと思っていたが、冷静な言葉が返ってきた。振り返れば、そこには鹿を模った面をつけた女性が、立ってサマイクルとピリカのことを眺めている。 「カイポク、いつの間に…まぁちょど良かった、ピリカの相手をしろ」 「やだよ、サマイクルに任せとくと楽だもん」 「俺だって嫌だ、せっかくあいつが手合わせをする時間を作ってくれたのに」 「そりゃ残念だ」 一言でばっさりと切り捨てて、オキクルミの言葉など微塵も聞こうとしないカイポク。 「残念だってお前…せっかくあいつと二人きりで、心地よい緊張感を出来る限り長引かせようとしていたというのに…」 「心の狭い男はモテないよオキクルミ」 「別にあいつ以外には好かれなくても問題ない」 「はいはい、じゃあピリカのことは任せたよ」 「あ、おいちょっと待てカイポクだから」 「任せたよ」 にこり笑った彼女の笑みに、う、と言葉を失うオキクルミ。 ふと視線を動かしてみれば、視界の端では観念したサマイクルがピリカに大人しく手を引かれている姿がある。 「…」 どうやらオイナの男は女に弱いようだ、とわずかな脱力感を感じつつ、けれどこのまま終わっては悔しいから邪魔してやろうと二人の元へ歩き出すオキクルミだった。 蚊帳の外オキクルミオチ。一応(強調)オキサマ+ピリカ? 前半は結構真面目っぽく見せかけておいて、後半はなんか…オイナ族の女性ってみんな強そうですよね。っていうかこの二人がヘタれてるだけなのか。 冗談言い合える間柄が好き。 |