好きだ、と伝えるのは簡単なことかもしれない。 伝えた後どんな反応をされるか、とか、伝えたところで断られて終わりだ、とかいう絶望的な考えを持つことは別として、だ。伝えること自体は、もとより思ったままの事を平気で言ってのけるスタンだ、おそらくそれほど難しくないに違いない。 けれどこの気持ちは伝えないと、決めていたのだ。 (だって…) この気持ちを素直に伝えたところでウッドロウには迷惑になるだけなのだから、そう考えていた。だって、そうだろう? そんなもの相手の気持ちがわかるわけでもないのだから、言ってみなければ迷惑かどうかもわからないけれど、でも一国の王と田舎の青年では釣り合わないと誰だって言うに違いない、いやそれ以前に彼を国王に戴いた国を望む人々を考えれば、そんなこと伝えられるはずもないのだ。国に一つの利益ももたらさない、そんな不毛な関係など。 彼が道を踏み外せば、彼の後ろにある全ての物を駄目にしかねない。王という特別な立場に立つウッドロウの言動は、苦しいことにもう彼一人のものではないのだ。まして感情を優先させた行為を良しとするほど、ウッドロウの国民に対する思いは弱くはない。 わかっているのだ、それぐらい。いくらスタンが田舎育ちで、単純で、能天気で、世間一般の事に疎くても。 今こうして共に旅をし、隣を歩いていることが奇跡に近い。偶然に偶然が重なっただけで、それを運命と呼ぶ人もいるのかもしれないけれど、要するにそれが運命なのだ。 わかっている、この想いは成就しないことを。成就させるべきではないことも。 だから、ウッドロウを困らせないようにこの想いはうちに秘めておくことにしたのだ。誰にも知られず密やかに想いを抱くことぐらいは許してもらえるだろう。 それでいい。 (それでいいんだ。それで…満足してるから) +++ ふと気がつくと、街を歩いている人の数が随分と減っていた。空を見上げると、先ほどまで頭上にあったと思っていた太陽がゆっくりと傾いている。どうやら随分とぼーっとして時間を過ごしたようだ。 (そういえばウッドロウさん…遅いな) 時間は経っているのに未だウッドロウが戻らぬことに、スタンは多少の疑問を抱く。まさか待っていてくれと言って帰ってしまうような人間ではあるまい。けれどすぐ戻ってくると言っていた手前、少しの買い忘れにしては時間が経ちすぎているのは間違いないだろう。 スタンは立ち上がって店の立ち並ぶ方へと視線を向けた。昼間ほどではないが、まだちらほらと通りを歩く人の姿が窺える。しかしその中に、あの美しい銀の色はない。 (どうしたんだろう…何か厄介事にでも巻き込まれたのかな。困ってる人を見るとほっとけない人だから) その場に誰かがいて、スタンの考えていることが読めたならつっこんだだろう、それはまごうことなくお前自身のことだ、と。まぁ、今はどちらでもいい。それよりもウッドロウだ。 探しに行った方がいいのかな、と少し考える。もしスタンがこの場を離れて、ウッドロウと入れ違いになるってしまうのも厄介だ。だが流石にこれ以上待つには帰ってくるのが遅すぎる。 数秒考えて、うん、と一つ大きく頷いたスタンは、そのままたくさんの荷物を腕に抱え地面を蹴って走り出した。じっとしているのはスタンの性に合わない、そういうことなのだろう。 街中を走りながら考える。もし本当にウッドロウが厄介事に巻き込まれていたらどうしようと。厄介事に巻き込まれようとウッドロウならば対処できる力を持っている、とわかってはいるのだが、それでも好いた相手を心配してしまうのは至極当然だろう。イクティノスも持っていたし、並大抵の相手に負けるとも思えないが。 「ウッドロウさーん?」 店の中を覗きつつ、声をかけてみるも目的の人物はどこにも見当たらない。さっき一緒に買い物をした店の主人等にも尋ねてみるが、喜ばしい答えは返ってこなかった。 結局、いまだに一人とぼとぼと道を歩いている。 「うーん…どこ行っちゃったんだろう。街の外に用事なんてないだろうし…まさか本当に先に宿へ帰っちゃった、なんてことは…!!」 いやいやいやそんなことあるはずないじゃないかだってあのウッドロウさんがそんな! ぶるんぶるんと頭を振ったスタンは、その後あまりに勢いよく頭を振り過ぎて少しふらついてしまった。その先に、一人の女性が。 「きゃ!」 「あ、す、すいません!」 女性の肩口にぶつかってしまったスタンははっと体勢を立て直し、ぺこりと頭をさげた。何をやってるんだまったくお前というやつは、というリオンの声が聞こえたような気がした。 「大丈夫ですか?」 「あ、はい、大丈夫です、私も少しよそ見していて…」 言いながら女性も、すみません、と礼をする。そして頭を上げて小さく問うてきた。 「あの…つかぬことをお伺いいたしますが、私の娘を見かけませんでしたか?あ、頭の両側でツインテールにした子なんですけど…」 「女の子ですか?いえ、見かけなかったと思いますけど…」 そうですか、と女性は落胆したようにつぶやいて視線を周囲に彷徨わせた。その様子を見るにどうやら娘さんとはぐれてしまったらしい、人を探しているという点ではスタンと同じだ。だからこそその気持ちもわかった。 「娘さんとはぐれたんですか?大変だ、俺も探しますよ!」 「本当ですか?最近貧民街の方でならず者が出るという話を聞いて心配で…」 「ならず者…きっとその子も不安がってます、見かけたらすぐ家に戻るように声かけときます。その代わりってのも変なんですけど…色黒で、銀髪の男の人見ませんでしたか?」 「え?貴方も誰か探してるの?…銀髪の…あぁ、その方なら」 少し前にこの道を右に曲がったところで見かけましたよ、という女性の言葉にスタンはぱっと顔色を明るくした。 「でも見かけてから少し時間が経ってますから、まだいるとは…」 「それでも手がかりがないよりはマシです、ありがとうございます!」 すいませんでは見かけたらもう怒っていないから帰ってきて、と伝えてくださいよろしくお願いします、深々と礼をする女性にスタンも会釈を返しつつ、やっと手に入れた情報を頼りに、言われたように通りを右へ曲がった。 ノイシュタットの街は比較的貧富の差が激しい街だ。街の外れの貧民街の方へ来て見ると、それを身をもって知る。どちらかと言えばスタンにはこちらの方が普通の印象だったのだが、ダリルシェイドやハイデルベルグを見た後だとあぁやっぱり田舎だったんだなと自分の故郷も思わずにはいられなかった。 商店街と違い歩いている人はほとんどいない。ならず者が出る、というのが影響しているのだろうか。そんなところでウッドロウを見かけたというのだから、ますますもって厄介事に巻き込まれた可能性が高くなってきた。 「ウッドロウさーん!いますか!」 先ほどの女性が言ったとおり、ウッドロウがまだこのあたりにいるとは限らないだろう。けれど少しでも情報があるならばそれに頼るしかない。 何度も声をかけながら街を歩いていると、更に街の外れのあたりで、一人の少女がぐずぐずと鼻をすすりながら壁にもたれかかって座っているのが見えた。見れば、先ほど出会った女性にどこか面影のあるツインテールの少女だ。おそらく彼女の娘で間違いないだろうと近寄って声をかけた。 「そこの君、もう暗くなってきたから一人でいちゃ危ないよ」 声をかけてみると、ぴょこりと少女の髪が揺れ、顔が上げられる。一瞬不安そうに歪められた表情だったが、スタンの笑顔を見るとほっとしたように眉をさげた。スタンにはどこか、そういった人に緊張を与えない雰囲気がある。本人がそれを自覚しているかは別として、だが。 「うん、わかってるけど…」 「お母さんが探してたよ、もう怒ってないって。だから早く帰ろう」 「ほんと?お母さんが…あ、でも…」 嬉しそうにスタンを見上げた少女の顔は、しかしそう口ごもって再び伏せられた。そしてちらりとスタンの頭に視線が向けられる。 (俺の頭が、どうかしたのかな?) 「どうかした?」 「金髪のお兄ちゃん…銀色の髪のお兄ちゃんの知り合い?」 「!ウッドロウさんを知ってるの?」 そう言うと、少女の顔がぐしゃりと泣きそうに歪んだ。あれ俺なんか変な事言った!?それはどういう意味の反応なのだろう、計りかねてスタンが首をかしげると、少女はぐっと唇を噛みしめて顔を上げた。 「金髪のお兄ちゃん…あの、あのね、これ…」 「?」 そう言って少女は両腕で抱えていたものをスタンに差し出してきた。うん、と何かも知らず受け取り、それを眺めた直後スタンは文字通り固まった。 手渡されたそれは、スタンが昼間買ったものを入れてもらった袋だった。そう、スタンだけに持たせるのは悪いからと、ウッドロウが抱えていたはず、の。 「…、これ」 「あのね、あのね、銀色のお兄ちゃんがね、街にいる金髪で髪の長いお兄ちゃんに渡してくれって、で、でもっ…」 じわり、少女の眦にしずくがたまる。けれど申し訳ないが、それを気遣う余裕がスタンにはなかった。 ウッドロウと会ったのならば、ここに彼がいないことはおかしいはずだ。ウッドロウならば泣いている少女をそのままにどこかへ行ってしまうことなどあり得ないからだ。まして見知らぬ子に荷物を預けてスタンに渡してくれ、などということは。 「ウ、ッドロウさんがどうしたの?!」 「う、…うん、あの、あのねっ」 「大丈夫だから、落ち着いて!」 スタンの方が落ち着いていないと言われるかもしれないほど、慌てている自覚はある。けれどそんなことよりも知りたかったのだ、正確な情報、を。 「あの、ね、私がお母さんと喧嘩してね、あのあたりの路地裏にいたの」 ひく、と時折言葉をつまらせながら、少女は少し離れた路地裏を指差した。薄暗そうな路地だった。 「そ、そしたら…怖いおじちゃん達が来て、私つかまりそうになって、そしたら銀髪のお兄ちゃんがきて私を逃がしてくれて…でもお兄ちゃんが…おじちゃん達に、連れてかれちゃったの…!」 「!」 瞬間、何も考えられなくなった。 ウッドロウが、どうしたって?連れていかれた? (ならず、もの…) ウッドロウが、連れていかれた? 何度かそれを頭の中で反芻する。連れていかれ、た。 その後、ようやく激しい焦りと驚愕と怒りと恐怖とが、ぐちゃぐちゃと入り混じった感覚が頭の中を駆け巡った。気持ち悪い感情だ、こんな感情の名前は知らなかった、こんな理解できない感情は。 その時浮かべていた表情はきっと恐ろしいものだったのだろう、目の前の少女がびくりと肩を揺らした。それにはっとし、無理矢理笑顔をつくって話しかける。 「あり、がとう…大丈夫、その人の事は俺がなんとかしてみせるから、君はもう家に帰った方がいいよ」 「う、うん…ご、めんなさい、わたっ、わたしが…!」 「君が悪いんじゃないよ、さ、早く、お母さんも心配して待ってるから、ね」 お母さん、の言葉に引かれたのか、しばらく戸惑ったのち、こくんと頷いた少女は一度だけスタンの方を振り返り、一目散に家へ向かって駆けて行った。たたたたたと小さな足音が遠ざかって行く。沈みかけた夕陽に伸ばされた影がいやに長いな、とぼんやりと考えていた。 少女の後ろ姿が完全に見えなくなるまで見送りながらスタンは、ぎゅ、と拳を握る。ぐしゃりと腕の中で袋のつぶれる音がした。 (…もっと早くに探しにきてれば助けられたの、かも…) 厄介事に巻き込まれているかもしれない、と想像はしていた。けれど、心のどこかではただの杞憂だとも思っていた。 なのに今、隣にウッドロウはいない。 悔しかった。ぐだぐだと一人、帰りが遅いのにも気付かず座っていた自分を思い出すと、悔しくて泣きそうだ。もちろん、ウッドロウがここにいたら言ってくれただろう。これはスタン君のせいではない、と。 でも、それではスタンの気が済まない。どうあがいたって、悔しいものは悔しい。自分が腹立たしくて仕方がない。まして攫われた相手がウッドロウだなんて。ぐ、と唇をかみしめた。 泣きそうだ。実際にそんなことで泣くはずがないし、今ここで泣いたってどうにもならないことぐらいわかっている。けれどこの、胸の内に渦巻く感情を逃がすには思い切り叫ぶか拳を壁に叩きつけるか、あるいは泣くのが効果的ではないかと思った。 あぁでも今はそんなことをしている場合ではない。 (どうしよう…) どうしたらいい。どうしたらいいんだ。どうしたらウッドロウを助けられるのだ。何故ウッドロウが連れて行かれたのだ。そもそもウッドロウは、誰に、どこへ連れて行かれたのか。 冷静さを取り戻せず、ただ焦るばかりでその場から動こうともしないままぐるぐる考えていた時、何を悩んでいるのだ、と聞こえたのはディムロスの叱咤の声だっただろうか。 (そうだ、悩んでる場合じゃない…とりあえずこのことをみんなに知らせないと!!) 今すべき行動をようやく導き出したスタンは、すぐに一人ででも追いかけていきたい心をなんとか理性でおさえ、昼間買った荷物を地面にまき散らしながら宿への道のりを全力で駆けて行った。 この想いに名をつけるなら 2 <<1 3>> 一番最初のパートの、ぐだぐだ心理描写を考えてる時が実は一番楽しかったりする。攻め側のマイナス思考(むしろ乙女思考なのかな)大好き!進展ないまま二話目終了ーさて次はウッドロウだ。なんか5話では終わらない気がしてきました。これでよくわかったことでしょう、私の書く文章にいかに無駄が多いか笑。 |