それは不可解な 2




 ぱち、ぱちりと小屋の中央でちらつく炎が音をたてている。外ではごう、と時々風が強くふく音が聞こえるだけで、それ以外の音はほとんどしなかった。ただ、ほかの皆はすでに眠りについているのか、静かな寝息が薪を燃やす音の合間に聞こえてくる。
 目をつむったはいいがやはりいつまでたっても意識が途切れることはなく、リオンの耳はずっとそんな音を拾い続けていた。
 窓の外に見える空は闇に覆われている。しかしその空からはらはらと舞い落ちてくる雪は、闇と相反するかのように純白だった。眠れない間に、もう何度それを思っただろうか。

(…何故だろう…今までこんなことはなかったというのに)

 そう考えると眠気よりも苛立ちが湧きあがってくる。
 寝なければと思っているのに、どうして眠れないのだ。これからが神の目奪還という任務の中で一番大切な時だというのに。この任務に全てをかけているリオンとしては、失敗したら、などということは考えたくもないことだった。
 けれどこの、眠れもせず他に考えることがない状態では、嫌でも考えざるを得ないのだ。それが、歯がゆかった。

 ふ、と目を開けると視線の先には機能を停止し、冷たい無機物となったシャルティエの姿がある。その姿だけを見れば、細工の凝った普通の剣にしか見えない。

(シャル…この大事な時に、こんなことで悩んでいるなど誰にも知られたくないんだ…いや、それが僕の弱みとなるならば)

 シャルティエにも、眠れないということは話していなかった。ただでさえ過保護でおせっかいなところがあるシャルティエだ、眠れないなどと言えばどうしたんですか大丈夫ですかと騒ぎ立てるに違いない。
 長年一緒にいれば相手の声などを聞いただけでも様子を察することができるだろうが、おそらくシャルティエには眠れないということはばれていないだろう。ばれているならばシャルティエはリオンに話しかけ続けてくれるだろうからだ。「坊ちゃんが眠れるまで相手しますよ」とでも。
 しかし、だからこそこれはリオン一人で解決しなければいけないことなのだ。シャルティエに頼りっぱなしでは、いつまでたっても一人前だと認められるわけがないのだから。

(…くそ…)

 ばさり、と寝返りを打つように壁際に背中を向けると、視界の先に一人座りこむ男の姿が映った。
 誰だ、とあまり見覚えのない姿に思わず目を見開いたが、ゆらゆらと揺れる炎に照らされた銀の髪に目を惹かれた。ウッドロウ、だ。あまりに静かだったため、彼が見張りをしていることをすっかり忘れていた。

(…本当に毛布なしでも平気そうだな)

 少しも寒そうにせずじっと座っている姿を見て、リオンはもそと毛布の端を掴んだ。隙間から入ってくる風は相変わらず冷たかった。
 それからしばらく少し驚いたような気持ちでウッドロウのことを眺めていたが、ふと彼が振り返るような気配がしたのでリオンは慌てて顔を毛布で隠した。後になって思えば別に隠れる必要はなかったわけだが、なぜかその時はじっと見つめていたことに気づかれたくないという気持ちでいっぱいだったのだ。
 ちらりと視線を動かしたウッドロウは、またすぐに窓の外を眺めるように視線を元に戻した。それを確認して、リオンはようやく毛布から顔を出す。
 視線を戻したウッドロウは先ほどと変わらず静寂を保っていた。

(…何を考えているんだ…あんなにも、静かに)

 気配さえも動かさず、ただぼんやりと静かに座り込んでいるウッドロウを見て、リオンはふと、考えた。

 彼はどんな気持ちでこの静かな夜を独り過ごしているのだろう。どんな気持ちでグレバムに占領されてしまったハイデルベルグ城に向かっているのだろう。どんな気持ちで、ここにいる皆を守るために見張りを引き受けたのだろう。

 そんな風に色々と他人のことについて考えたのは久しぶりかもしれない。いや、久しぶりなどというものではない、ほとんど他人に興味を持たなかったリオンにとっては、自分からすすんで考えるのはひょっとしたら初めてのこと、だろうか。
 そんな重大な事であったが、今のリオンはそのことについて考えることをしなかった。疑問にすら思っていなかった。ただ、視線の先にいる男のことを考えることだけに集中している。

 きっと。
 きっと、誰よりも早くハイデルベルグまで戻りたいと思っているのは、誰でもないウッドロウであろう。それこそこんなところでこんな風に時間を食っているのさえ惜しいと思うほどに。父王を殺され一人恥を忍んで城を脱出し、そうしてここで休憩を取っている自分が情けないとさえ思うのではないだろうか。今なおこのすぐ近くで苦しんでいる民がいるというのに。
 少し寂しげに見える横顔から、リオンはそんなことを考えていた。

(噂で聞いた限りでは、ファンダリアの次期国王は民衆に慕われている、という話だったな)

 それは間違っていないだろう、ここに来るまでに何度か彼の口から国民を心配する言葉がこぼれていたのをリオンも聞いていた。
 神の目についての話を聞いたウッドロウは、これは我が国だけの問題ではないのだな、と改めてグレバムを止める気持ちを露わにして、こうして共に神の目奪還の任についてきたが、やはり彼にとっては神の目の問題よりもグレバムによって好き放題されている国の上層部の方が問題なのではないか、と思う。神の目を取り戻すことが結果ファンダリアの国民の安全に繋がるから、だから必死になっているのではないか、と思った。少なくとも出会った当初だけではそう思っていた。何か自分に有利になることにしか動かない。人間という生き物など所詮その程度だろうと。

(…だが)

 だが、違うのかもしれない、と思い始めている自分がいることに、リオンはようやく疑問を抱いた。なぜ出会って間もない、これからのリオンの人生において関わることもないだろう人間についてこんなにも考えているのだ。

(…何を考えているんだ僕は!あんな…この任務が終われば関わることのない、どうでもいい男だろう)

 そうだその通りだとリオンは自分の考えた事を咀嚼した。王となるならば名前ぐらいは聞くことになるだろうが、それきりだ。

(気にかけることなんて一つだってない…それだけの、関係だ)

 あぁ、けれど。
 普通、どこの国の王が自ら進んで見張り番を引き受けたりするだろうか。ファンダリアの民のことだけを思うなら、ただ少しの間共に行動をするリオン達にまでその気遣いをする必要はなかったはずだ。
 それなのに、今でも彼は暗く静かな小屋の片隅で自分たちを見守っている。不平不満一つ言わず、皆を戸惑わせないために不安そうな表情さえ浮かべないまま、それでも何か強い意志を秘めて。
 おそらく雪山に慣れたウッドロウなら、ある程度の方向感覚を持ち合わせているだろうし、このあたりの地理についても聡いだろう。だから一人でこの雪山を抜けるのは容易いことに違いない。
 それでもリオン達と一緒に行動をしているのは、一人では敵わないことを知っているからか、リオン達の力を信じているから、か。
 あるいはそれがスタンの力を信用して、ということであれば。

(…ふん、スタンなんかよりも僕の方が…)

 なにか胸のあたりでもやもやとするような、感覚。
 思った後で、今何かおかしなことを考えなかっただろうかと、リオンははっと思考を止めた。悔しい、と思う気持ちさえあったことが信じられない。なぜそれを悔しがるのかがわからなくてもぞもぞと毛布の中で首をかしげる。

(…話が、ずれたようだな)

 とにかく。
 ウッドロウという男はそれだけの覚悟を決めて向かっているようだ。リオン達の為に睡眠時間を犠牲にしてまで。
 なぜこんなにもウッドロウのことを考えると色々と浮かんで、本当のところはどうなのだろうと知りたくなるのかはわからないが。

(それなのに僕は…どうしてこんなくだらないことで悩んでいるんだ…)

 眠れないだなんてそん、な。そんな私的で些細なことに。

「…眠れないのかい、リオン君」

 そんなリオンにかかった声は、低く快いものだった。



>3

一人悶々とする(違)リオン。