――陽の光に透かされた金の糸が、ひら、ひらりと風に揺れている。 それと同じものを遥か昔に見た覚えがあり、シャナンは思わず足を止めてじっと金糸を眺めていた。 あれはまだシャナンが幼かった時のことだ。 もう十年以上前のことであるが、あの目に焼き付くような強烈な光を今でもはっきりと覚えている。今思えば、それは聖戦士の血が発する目に見えない気の流れのようなものだったのかもしれない。しかし幼いシャナンは、その金の糸――美しい金の髪を見て、眩しい、と思ったのだ。 ――獅子王エルトシャン。 彼はそう呼ばれる、シャナンの尊敬する人の親友だった。 そのエルトシャンと同じ色の髪が、シャナンの目の前で風になびいている。 自分の家系には見られない実に美しい色だ、とシャナンは考えて、しばし動くことを忘れてそれに魅入っていた。 「……誰だ」 その低音の、しかし良く通る声が聞こえた時、シャナンはやっとはっとして視線を少し下へずらした。そこで庭先の木にもたれかかっていた男と視線がぶつかり、明らかに凝視していた己の行動を迂闊に思う。金の髪に隠れて少しだけ見えていた瞳からは警戒心やら殺気やらが窺え、まぁ仕方の無いことか、とシャナンは内心苦笑を浮かべた。 彼はまだこの軍に入ったばかりだった。それも、シャナン達のような純粋な理由からではなく、もっと利己的な感情からだ。 「すまない、私はシャナンだ。お前がアレスだな?」 なるべく穏やかに尋ねれば、シャナンの言葉に男の目がぴくりと動く。 「シャナン……あぁ、イザークの王子か」 「そうだ」 やはり自分の名ぐらいは知られているか、とアレスが己のことを知っていたことにまず安堵しながら、シャナンは金の髪に見入って魅入っていた為にとまっていた足を動かしアレスに近寄ろうとした。しかしアレスはそれを拒むようにシャナンのことを睨みつけて問う。 「何の用だ、そこでいいだろう」 「そんなに睨むな、戦場でもないのにそんな殺気を向けるな」 随分と一匹狼な獅子の子だ、と本人が聞いたらもっと睨みつけられるだろうことを思ってシャナンは苦笑した。もっとも本人は一匹狼でも構わないと言うのかもしれないが、それでは少し寂しいだろう。 牙は見せていないにしろシャナンの事を威嚇するかのようなオーラを出してくるアレスに、とりあえず仕方が無いかと近づくことをやめそこで足を止める。 「いや、用というほどのことでもないが……」 「ならば俺に構うな。言っておくが俺の目的はセリスの言葉が本当か嘘かを確かめることだ。それまでは共に戦うが……」 「どちらにしろ共に戦うなら挨拶ぐらいはしておこうと思ってな。群れあいたくないかもしれんが、それぐらいは許容してもらいたい」 アレスがすぐには態度を変えられぬだろうことを悟り、シャナンは敢えてそれを咎めたりはしなかった。きっと今一番戸惑っているのはアレスなのだ。 彼にはずっと信じていたことがあった。彼の父である故ノディオン王エルトシャンは、セリスの父である故シグルドに殺されたのだ、とずっと信じて生きてきた。母親からもそう教えられ、それ以外の事実を知る術もない少年にとって、それは仕方の無いことだっただろう。 以来、アレスはただ復讐を果たすことを生きがいにしていたといっても過言ではなかったかもしれない。 しかし先日、戦場で出会ったセリスからアレスが聞いたのは、シグルドとエルトシャンは唯一無二の親友であったということだった。セリスも実際に当人たちから聞いたわけでもなく、まして見たわけでもなかったが、互いに恨みあってなどいないはずだと信じきっていた。 それをどうしてアレスが、そんなものは推測にすぎない、と切り捨ててしまわなかったのかはわからない。切り捨てるにはあまりにもセリスの瞳が澄んでいたからか、何か思うところがあったのかはわからないが、アレスはしばらく様子を見るという口実で、解放軍に参加することとなったのだ。 その話をセリスから聞いた時、彼もまたあの戦いの被害者であったのか、とシャナンは当時のことを思い出していた。そして、一人孤高を貫こうとするアレスの立場を思いやる。 彼は今、深い戸惑いの中にいるのだろう。今まで信じていたものが全て突き崩され、己の立つ世界が揺らぐ中、必死に答えを探っているのだ。唯一、アレスの信じるべき母もなくなったこの状況で、一体誰を、何を信じるべきなのか、己の胸に問いかけ続けている。それが他人への拒絶に繋がっていた。 シャナンとて、もし自分を育ててくれた叔母がグランベルへの恨み言ばかりを口にしていたとしたら、シャナンの心はグランベルへの憎悪で煮えくり返っていたことだろう。絶対に信じられる相手がいないというのは本当に辛いことなのだ。 だから、アレスにとって母の言葉はもちろん絶対であろう。しかしセリスの言葉にも疑う事が出来ないほどの誠実さが含まれていた。普通ならばその程度で揺らぐほどアレスの憎悪は薄いものではなかったが、セリスには不思議と人を信じさせる空気がある。 それにあてられて、どちらを信じればいいのかわからなくて、だから中立の立場を取ることで答えを出すことを伸ばしているのかもしれない。 そこまで考えてふと、シャナンは思いついたことがあった。 「……お前はシグルドがエルトシャン王を殺したのだと、嘘か本当か確かめると言ったな」 「それが?」 「どうやって確かめるつもりだ?」 意地の悪いシャナンの質問に、切れ長の瞳をシャナンに向けたアレスの口は閉じられた。答えられないのか、答える気がないのか、あるいは答えがないのか。いずれにせよ、シャナンの言葉に対してまだ反応を返してくれているあたり、心を閉じきってしまうつもりはないようで、それには安心した。 本当は、その場に―――シグルドとエルトシャンが対峙せざるを得なかったその場に居たシャナンは事の真相を知っている。 あの戦いを仕方の無かったのだという言葉で片付けることは軽すぎるが、事実、シグルドとエルトシャンは対立せねばならぬ状況だったのだ。国の存続、騎士の誇り、策略――様々な思惑が渦を巻くあのアグストリアで、彼らがぶつかり合わねばならぬのが運命だった。今思い出してもあまりに惨い運命であるが、もはや過去は変わらない。 そしてあの時、もしエルトシャンの妹であるラケシスの説得がなくシグルドが彼をその手にかけていたとしても、シグルドの行動はある意味では正しかったのだといえるものだった。それが戦争だ。 (だが……難しい状況だな) そうであったとしても、心では割り切れぬこともあるだろう。まして家族であれば尚更だ。納得しきれなくて当然であるかもしれない。 それに、先ほどの問いの答えを確認する術など本当はない。すでに過去となってしまったことをいくら口に出そうが、セリスの言を信じるか、母親の言を信じるか、それはアレス次第なのだ。 「すまない、意味のない質問だった」 シャナンは自分の非を認め、アレスに素直に謝った。答えのない質問などする必要もないし、するべきものでもない。ただ、どうにかアレスにその答えを出してほしい、と思ったのだ。そして出来ることならその溝を乗り越えて、セリスと共に笑いあってくれればと思わずにいられなかった。 ――そんなことで、シャナンの負った罪が消えるわけでもないというのに。 頭の片隅で囁く声に蓋をして、シャナンは視線を伏せた。 (そう、これは自己満足だ……わかっている) だがシャナンはきっと、それでも彼に構ってしまうのだろう、という予言めいた自覚があった。それはセリスに対するものとは少し性質が違っているが、今度こそ必ず守り通す、という強い意志を伴っている点では同じようなものだ。 おそらく、そんなことをしてくれなくとも結構だ、とこの獅子王の子には言われてしまうだろうとわかっていたため、口に出すことはしない。だが、だからこそ、シャナンは敵ではないということを知ってもらいたかった。信頼などしてもらえなくてもいいが、こちらはいつでも心を開く用意はあるのだと彼に思わせることが重要だった。 シグルドが幼いシャナンを敵国の王子だと扱わなかったように、アレスにもまた、この軍においては孤独を感じさせたくなかったのだ。 アレスはシャナンの謝罪の言葉につまらなさそうにフンと鼻を鳴らすと、視線を逸らし目を閉じた。用がないのならばここから去れ、と言っているようだった。 そのオーラを受け止めて、暫くどうしようか迷った後、ふとシャナンの口から言葉が漏れた。 「だが、きっと真実を見極められるだろうと私は信じている」 なにせ彼らの、あの固い絆で結ばれた3人の男達の息子の一人なのだから。 心の中でつけ加えた言葉に、シャナンは自身をもう一度納得させた。そう、きっと大丈夫だと。 だがその言葉がひどく気にくわなかったのか、今の少しの間にさえ見せなかった不快そうな表情がアレスの顔に表れた。どちらかというとシャナンを蔑むような感じにさえ見える。 「信じているだと?お前に俺の何が分かる」 「名と生い立ちぐらいだな。だがお前が何を考えているのかと、私が何を信じるかは全く別の話だ。お前の気持ちはわかるなどと傲慢なことを言ったつもりはないが、物言いが気に障ったのなら謝ろう」 「……チッ」 苛立ちを隠そうともせず舌打ちをしたアレスは、もたれかかっていた木から背を離すとシャナンの方に一瞥もくれずに背を向けた。そして結局、一度も振り返らぬままにその場を去っていった。 その姿が見えなくなってからも少しの間そちらのほうに目を向けていたシャナンは、突然吹いた突風にやっと顔を動かした。舞い上がろうとする髪の毛を片手で押さえながら、やれやれと息をつく。 「疎まれたか……」 一度も正面から顔を見てもらえなかったな。 そう言うシャナンの表情は、しかし言葉ほど困っているようには見えなかった。それよりも、アレスが今後どうしていくのか、そればかりが気になって仕方がなかった。 其の名 獅子王の子 12>> まだまだ仲が悪い。一体私は何を書きたいんだろう。 っていうか、誰の需要があるんだこの話は。私の需要だけか。 2016.11.5 改訂 |