――軍というものは指導者一人違うだけでこれほど覇気が違うのか。 アレスが解放軍に入って数日。そのたった数日の間でこの解放軍について思ったことは様々あったが、前に居た軍と違っていたと思うのはそれだった。 解放軍として暮らす者は皆、生き生きとしており、少し恥ずかしい台詞で言えばきらきらと輝いてるかのようにアレスの瞳には映っていた。少なくともアレスが前に雇われて駐在していた軍では、上官や味方のことを堂々と愚痴っている者を見かけたし、色々な作業もだるそうにやっているのが普通だった。もちろん、上官にはバレぬようにというのが大前提であったが、とにかくそれが普通なのだと思ってきた。 しかしこの解放軍にいる者たちのほとんどがそう感じているようには見えなくて、アレスは前を通り過ぎる人々の姿を眺めながらぼんやりと考えていた。 場所は城の庭の一角、先日イザークの王子と出会った大きな木の下だ。相変わらずアレスは一人そこに背を預けていた。 その場所が特になんだというわけではない。日課としていた鍛錬を終えたのち、ただ部屋に居てもすることがなかったし、あまり興味はなかったが人間観察をしておくというのもこれからのアレス自身の在り方に影響するかもしれない、と思ったまでだった。 そうして観察してみて思ったことが、それだった。 金で雇われ嫌々働き、力で支配された軍とは違い兵達の顔には覇気が溢れている。流石に全員が全員、というわけではなく、解放軍という名の響きに酔っているだけの頭の悪そうな人間もちらほらと見かけることもある。グランベルの支配と比べてまだマシそうだからこちらについている、という者もいれば、ここにいれば沢山の戦場に出られるからと戦を心待ちにしている者もいる。 だが、その負を覆い隠すほどの光に満ちているような気がした。アレスが見ているところがたまたまそうであったのかもしれない。 しかし未だにその空気に慣れず、アレスは孤高を貫いている。 何故だろうか、この空気に慣れることを拒もうとする自分がいた。今までだってずっと一人で生きてきたという自負がそう思わせるのだろうか。慣れる必要などないだろうくだらない、と吐き捨てる己がいるのも事実だった。 試しに慣れあう事を必要とする自分を想像してみて、ひどく不愉快な気分になった。他人を必要とする自分はまるで、一人では生きていけない弱い子供のようだったからだ。そんな自身の姿は耐えられそうになかった。 ――大丈夫、自分は一人でもやっていけるのだ。 アレスはそう思ってふっと目を閉じた。 それにアレスだけではなく、他の皆もどこかよそよそしかった。 アレスの纏う気高く誇り高い雰囲気は、普通ならば尊敬や憧れの対象になるのだろうが、しかしここでは逆効果にしかならないようだった。尊敬や憧れを通り越し畏怖を感じさせる対象にでもなってしまっているのだろう。 (――別に構うものか) どうせこの戦いが終われば散り散りになるやつらばかりなのだ。 わざわざ仲良くなろうと心を砕くのに苦労するよりは、いっそずっと一人で居た方が気が楽だった。今までだってずっとそうして生きてきた。自分から話しかけることをしなければ、相手もほとんど話しかけてくることなどないのだ。 別に話しかけたいのであれば相手の勝手にするといいと思っていた。それなりには対応するつもりだった。だが用がない限り自分からは話しかけない。話しかけることをしなくても、これだけの人が居る軍ならば話は進んでいくものだったからだ。 それにアレス自身に興味を持ってくる人間など、父親つながりでセリスやレンスターのリーフ、戦術を考える上で軍師であるレヴィンや、色目を使ってくる女共ぐらいしかいない。 「ここか、アレス」 ――いや、もう一人いたか。 呼びかけられる声に、アレスは内心眉を寄せる。 声を聞くだけで誰だかわかるようになってしまったのは、おそらくこの間、アレスにしては珍しく長く会話をしていたせいだろう。アレスが思っていた以上にあの会話は心の中に焼きついていた。 アレスは近寄ってきた気配に向かってつぶやいた。 「何の用だ」 「また近寄るなと言うのか?随分と嫌われたのかな、私は」 少し楽しげにも聞こえるその声は、先日と同じように目の前に立っている長髪の男のものだった。アレスはその男―――シャナンがあまり得意ではなく、顔を上げることもしなかった。 嫌いというわけではない。いや、干渉されたくないと感じるのを嫌いだと表現するのならば、シャナンのことが嫌いなのかもしれない。ただそうならば、アレスは誰に対してでも嫌いという感情を持っていることになる。 おそらく慣れていないのだ、と考えている。敵意をむき出しにして、あるいは威圧感を伴って向かってくる相手ならば何も苦労はしない。だが、身内でも色恋でも商売でもない赤の他人にこれほど気にかけられたことなどなく、慣れていないのだと思っている。 そんな風にあれこれ自分の感情に名前をつけるのが面倒で、だからシャナンと接することは得意ではない。とりわけあの会話をした日から、シャナンはひどく苦手な部類に入っていた。 (……何故俺がこんなくだらないことで悩まねばならん?) そう思ってみるのだが、どうにもならずにアレスは内心ため息をついた。 そんなアレスには気づかずにシャナンが話しかける。 「相変わらず軍議にしか参加しないのだな。終わった後もさっさと行ってしまうし。おかげでここ数日、お前の姿を探すのが大変だったぞ」 「そんなものは俺の勝手だろう」 大体軍議に出ていれば構うまい、と言おうとしてアレスは言葉を切った。 ――今この男は何と言っただろうか。 「……俺を探していた?」 「あぁ、もう一度話してみたいと思ってな」 「話すことなど何もない」 アレスが突き放すようにそう言うと、シャナンは困ったように苦笑した。アレスはシャナンの方に目を向けていないためにそれを見ることはなかったが、笑ったのだろうということは感じ取れた。 「話すことはなくても、私達には剣があるだろう」 言って、シャナンは鍛練所のある方角を指差した。剣を交える、ということか。なるほど、確かに剣聖オードと黒騎士ヘズルの末裔同士の訓練ならば、それなりに真剣勝負が出来ることだろう。 そう考えて、やはりアレスは整った顔をゆがめた。 ―――あぁまったく、この男は何を考えているのだろうか。 わからない男だ、と思った。これだけ突き放す言葉を発していれば、人は必ず離れていくものだ。正直前回の会話だけでもう話しかけてこないのではないかと思っていた。 だがさっきの台詞でさえ、この男にとっては苦笑で済ませられることなのだろうか。それとも、アレスと剣を交えてみたいというのなら、顔に似合わず随分と戦闘狂なのかもしれない。 「お前は俺が父上の息子だから構うのか」 次にアレスの口から出た言葉はそれだった。 シャナンが構ってくる理由などもうそれ以外に考えられなかった。一応、ではあるがシャナンはアレスの父エルトシャンとも面識があるらしい。詳しいことは知らないが、ひょっとしたらその時に何か恩を受けたのかもしれない。 アレスのその台詞を聞いて、シャナンは心外だなといった表情を浮かべて笑った。 「そうやって理由をつけてやった方が楽なのか?」 理由がなければ話しかけてはいけないのか、とシャナンは尋ねてくる。楽かどうか、ではなく、お前の本心を知りたいんだ、とすっと目を細めると、シャナンは風にたなびく髪を耳にかけてつぶやいた。 「そうだな、私はエルトシャン王を知っている。だが実際それほど親しく知っていたわけでもない。お前がエルトシャン王の息子でなかったとしても、興味があれば近づいただろうさ」 ふっと微笑んでそう言ってから、アレスが何か言う前に、確かに、とシャナンは付け足す。 「確かにエルトシャン王は素晴らしい方だった。ちらりと見ただけではあるが、今でもその姿は目に焼きついている。だがアレス、それとお前と何の関係がある?私の目の前にいるのはお前だ、エルトシャン王ではない」 そう穏やかにつむがれた言葉を聞いて、アレスは本当に不思議な男だと思った。 そして不覚にも安心感にも似た何かを感じた。 この軍に来てから、数人を除いてアレスを見る人々の目は2つだった。 一つは、軍には入り共に戦ってくれるものの、ひょっとしたらセリスを殺すかもしれない危険性を持った男だという見方。アレスが敵軍についていたという話は思ったより広まっており、アレスの真意をはかろうと小さな監視の目がいくつも己に向けられているのが嫌でもわかった。 二つ目は、あの黒騎士ヘズルの子孫で、ノディオン王家故当主エルトシャンの息子。そして魔剣ミストルティンをもった聖戦士。それ以上でも、それ以下でもない。 どの視線もアレス本人を見ているようで、しかし本当はアレスの姿を通してその肩書きだけを見ているようだった。それがひどく不愉快でくだらなく思っていた。それがアレスと解放軍とを隔てている一種の壁だったのかもしれない。 (……だが) ――だがこの男は違うというのだろうか。 そう考えたら不意にこの男と真正面から対峙しようという気が起こり、アレスは下げていた顔を上げシャナンのことを見た。シャナンという男の存在を、ようやく認めたのだ。 「やっと顔を上げたか」 その動作にシャナンが笑う。綺麗な男だった。 アレス自身整った容姿をしておりそのような容姿に今更驚くこともなかったが、ただ戸惑ったのは、己の纏う氷のように冷たい雰囲気など少しも感じられなかったことだ。 アレスが自分のことを見たことが嬉しかったのか、シャナンは穏やかに微笑んでいる。噂程度には聞いている、シャナンの過去から現在にかけて背負っている自責の感情を感じさせないほどに、彼は優しく包み込むような雰囲気を持っていた。 「やはり美しい色の髪と、瞳だ」 「お前は……」 ――あぁこれが、あの悪く言えば軟弱なセリスを育てたのか。 その考えは、すっとアレスの心に落ち着いた。母が死んで以来憎しみの心で生き抜いてきたアレスには決して感じることのできなかった心地であり、あのセリスの騎士とも戦士とも言えぬ穏やかな雰囲気も理解できる気がした。 ――イザーク。 現在の世界情勢を決める発端となった国の、神器を継承した王子。だからこそ、シャナンはアレスに対して対等な立場でいられるのだ。聖戦士の血も身分も関係なく、ただの人として。 しばしアレスがそんなことを考えながら口を閉じてシャナンのことを見つめていると、あぁそうだとシャナンがつぶやいた。 「まぁ、あまり馴れ合うつもりがないのかもしれないがこちらは頼りにしている。特にセリスは、お前のことを信頼しているようだ」 出来るなら裏切らないでやってくれ、とシャナンは笑う。 随分とセリスのことを気にかけているようだ、言外に裏切った時は私が相手になろうとでも言っているかのようだった。それは優しさであり甘さであり、しかし与えられる側にしてみればひどく心地の良いものなのかもしれない。 頼りにしているぞ、とつけ足された言葉にアレスは沈黙を続ける。 一体自分はいつから他人を必要としなくなったのだろう。母を失った時か、復讐を誓った時か、人を殺した時か、あるいは生まれた始めから心のどこかでそう思っていたのかもしれない。 しかし自分もこんな風に心配してくれる誰かがいたら、もう少し何か変わっていたのだろうか。刺々しい心ではなく、もう少し違った考え方が出来るようになっていたのだろうか。 この場所にいればその「誰か」を見つけることができるだろうか。 (それが) もう一度こちらを見てくるその瞳と視線を合わせる。相変わらず何を考えているかはわからない。だが、本当にアレスのことを見てくれている、というのは感じられる。 (……この男なら悪くはない、のかもしれない) 己の中の感情の変化に驚きながらも、獅子王の孤高の息子はその口元に小さな笑みを宿していた。 其の名 獅子王の子 2遅くなりました…あぁもうぐちゃぐちゃで何が言いたいのかよくわからないお話だ。 とりあえず仲直り?アレスのお気に召したようです。 話としては続けたい…アレス×シャナンとか書きたいけ、ど…発展しなさそうだなぁ。 <<1 3>> 17.2月 改訂 |