―――しまった。

 そう思った時には既に遅かった。
 一匹の屍兵を屠ったフレデリクの背後では、別の屍兵が武器を振り上げて立っていた。普段の戦時中ならばそのような失敗はあり得なかったが、これまでに大量の屍兵を屠った後であり、集中力が切れ始めていたのが原因だ。
 不運にも、愛馬は目の前の屍兵に気をとられ気付いておらず、馬上のフレデリク一人の一存ではもはやその攻撃は避けられぬと思われた。

「っ、!」

 重い鈍器が、振り返りその存在に気がついたフレデリクの頭めがけて、まっすぐに振り下ろされる。感情があるかないかもわからぬ敵だが、その行動には一切の迷いは見受けられなかった。目の前の敵を殺す、ただその殺気だけが確かな形を持って感じとれる。

(くっ…クロム様、すみませんっ…!)

 こんなところでやられてしまうのか、まだクロムの築く平和な世の中も目にしていないというのに、自分の役目はまだ一つだって終わっていないというのに。
 無念の叫びを放ち、襲い来る衝撃にフレデリクは身を固くして待つ。その瞬間も思うのは、どうかクロムが生き残り、イーリスの未来を希望へと導いていってほしい、ということだった。こんな時までそれを思うのが、このフレデリクという男である。
 それに、おそらくその願いはフレデリク一人のものではない―――と、思っている。エメリナの未来を信じ、イーリスに生きる者ならば、皆が抱いている願いだと信じていた。
 だからこそ、イーリスの未来を夢見るフレデリクにとってはクロムの無事を願う事には大きな意味があったのである。

(クロム様―――!)

 ぎゅ、と祈るように目を瞑り、一撃を受けたとしてもなんとか生きていられればいいのだが、と衝撃に備える。
 その際、一瞬だけ風を切る音が聞こえた気がしたが、何かを確認する余裕はなかった。
 そして、体に走る激痛―――のはずなのだが、すぐさま訪れると思っていたその衝撃は、一向に襲いかかって来ることはなかった。
 不審に思って目を開くと、そこには今まさにフレデリクに向かって振りおろそうとしていた腕を振り上げた状態のまま、ゆっくりと倒れていく屍兵の姿がある。その頭部には、先ほどまではなかった一本の矢が深々と突き刺さっていた。

「…?」

 これは、とつぶやきかけたところで、背後の茂みががさと音をたてた。

「―――間一髪だね、フレデリクくん」

 そして、音を立てた茂みの奥から、地面に倒れた屍兵に突き刺さったものと同じ弓を構えて出てきたのは、ヴァルム帝国に侵略された領地の領主であるという男―――ヴィオールだった。貴族のたしなみであるというスカーフを、優雅に風に揺らしながらフレデリクの元へと歩み寄って来る。

「間に合って良かったよ、それと、一撃で倒れて良かった」
「あ―――ありがとうございます、ヴィオールさん。助かりました」
「戦場で助け合うのは当然さ」

 貴族的にも目の前の人を見捨てるということはあってはならぬことだからね、と得意げにヴィオールは話す。いまいち何が貴族的なのかわからなかったので、フレデリクはその言葉には反応を示さなかった。

「どうしてここに?確か持ち場はもう少し南の方では…」
「あぁ、南の方は敵が少なかったのでね。手早く片付けて救援に駆け付けたというわけだよ。しかしこの数の屍兵をよくもまぁ一人で倒したものだね…」

 地面に転がる無数の屍を見回して、ヴィオールは感嘆の息をはく。
 そう、フレデリクが突き進んだ森の中には屍兵が大量に潜んでおり、馬にて単騎突撃したフレデリクになかなか仲間が追いつかずに、一人でその全てを相手にすることになったのだった。自業自得といえばそれまでだが、最後の一匹をのぞけば、無茶な行動ではなかったように思う。
 ヴィオールも、フレデリクの無謀とも取れる行動を咎めるつもりはなさそうで、逆に素晴らしいと褒め讃えてくる。

「やはり、イーリス一の騎士と謳われるだけのことはあるね」
「そのような大袈裟なものではありませんよ」
「謙遜しなくてもよいのだよ、この私が言うのだから、もっと誇ってもよいのだ」
「…はぁ」

 その理窟が理解できずに間の抜けた声をあげると、おや元気がないねどこか怪我をしているのかい、と見当違いのことを言われた為に、少し疲れただけですよ、と笑顔を浮かべておいた。それに満足したように、うむそれは良かった、とつぶやくヴィオールに、そっとフレデリクは息をつくのだった。

 正直フレデリクは、この男があまり得意ではなかった。
 得体の知れない男、というのが、最初の印象だったようにフレデリクは思う。
 ただの権威にすがった金持ちかぶれなにかと思えば、多少の事にもおどおどした態度を取ったり、女性と見れば求婚しているかと思えば、その駆け引きのみを楽しんでいる節もある。そして、策士のような台詞を吐くかと思えば、根拠のない、しいていうならヴィオールと言う男を根拠とした事を自信満々に言ってのける。また、客将という立場に甘んじながら、ヴァルム帝国に侵略された領地の領主だという。その他色々と、数えだしたらきりがない。
 そういった一貫性のない人物は、堅物で通るフレデリクにとっては理解しがたく、深く親しくなることはないのだろう、と思っていた。
 実際、フレデリクはあまり真面目に相手をしたことはなかった。

 とはいえ、戦力としては彼の存在は無視出来ないほどに申し分なかった。
 彼の弓の腕は、空を飛ぶペガサスやドラゴンナイトなどは見事に撃ち落として見せるし、敵味方入り乱れた戦場で、敵だけを打ち抜くのもお手の物だ。先ほどフレデリクを救った時も、屍兵のみの急所を打ち抜いてみせたのだから、その腕前は信用している。
 それに、なによりフレデリクの忠誠を誓う主君、クロムの邪魔をしている気配もない。たとえ苦手であろうとも、存在を認める理由などそれで十分なのである。
 よって、フレデリクも、人当たりの良い笑みでヴィオールに対応していた。

 さて、とヴィオールが一区切りをつける。

「フレデリクくん、では参ろうか」
「参る、とは?」

 突拍子もない言葉に、怪訝そうに聞き返せば、ヴィオールもまた不思議そうに首をかしげている。

「君らしくもない、クロムくんのところに決まっているだろう?」
「あ…そう、ですね」
「いつも君がクロムくんのすぐ傍で剣を振るっていることは周知のことだからね」

 ヴィオールの言はもっともである。
 いつもならいの一番にクロムの元へ馳せ参じるフレデリクなのだ。誰に言われるでもなく、それはフレデリクの義務であり、誇りであり、願いなのである。
 しかし、先に言われてしまったせいかそのことについてすぐにピンとこなかった。
 それが腑に落ちないのか意外だったのか、少し気の抜けたようにヴィオールのことを見ていると、彼は軽く目を見張ってから、ふふん、と笑った。

「意外かね?」
「え?」
「顔に出ているよ」
「はぁ…いえ、ヴィオールさんのことですから、助けを求める女性の元に、とでも言うかと思いましたので」

 見透かされたのも意外だったが、それを悟られぬように平静を装って口にした言葉に、ヴィオールは大袈裟に頷いて、びし、と人差し指を突き付けてきた。

「鋭いねフレデリクくん、だがそれはここへ来る前にもう行ってきたのだよ。なんなら聞かせてあげようか、私の華麗で美しい…」
「ではクロム様の元へ参りましょうか」
「…話を遮ったねフレデリク君…」

 自分でその話題を出しておいてなんだが、こんな戦時中に女性の話など結構である。自分から話題を振ったのは失敗だった。まぁ、話題は断ちきれたので問題ないだろう。
 それよりも、次から次へと湧きだすこの屍兵に、主君が苦戦をしていないかだけがフレデリクの気がかりだった。クロムの強さを信じていないわけではないが、先ほどのフレデリクのようなことがあってはならない。

「行きますよ、ヴィオールさん」
「それも私の台詞だったのだが…まぁ、良いということにしよう」

 そうして、フレデリクとヴィオールはクロムの元へと戦場を駆けた。

 それにしても、と馬を駆けながらフレデリクは思う。
 自分の元へ駆けつける前に、女性達の救援に向かっていたのだとしたら、ヴィオール自身も相当戦場を駆けまわっているのではないだろうか。それをこなして、フレデリクの救援に駆け付けさらに今休みなくクロムの元へ向かっているというのは、実は結構凄いことのような気がする。
 そして、その労働っぷりをこなしても。なおいつも通りの自称貴族的な態度を保ち続けていられるのだとしたら、彼の精神力は随分と強いに違いない。

(…まぁ、そうだからこそ何度も女性にフラれてもめげずに続けているのかもしれませんね)

 集中力を欠いた身としては、その点の精神力だけは見習ってもいいかもしれない、と己を失態を恥じつつ、フレデリクはクロムの元へと向かうのだった。




守想 1

2>>
見切り発車。仲良くないのが好き。