丸一日かかった屍兵との戦いは、なんとか勝利で終わった。
 次から次へと湧いて出る屍兵の、多種多様な存在に苦戦を強いられたが、死者は最低限に抑えての勝利だったことが救いであろう。
 しかし、死者こそ少なかったものの、多かれ少なかれ怪我を負った負傷兵が多く、癒しの杖を扱えるリズやマリアベル、リベラなどが忙しく陣地を駆けまわっていた。忙しいけれど、死者が少ないことは嬉しいことだ、と皆精力的に活動している。
 さて、フレデリクは身につけている強固な鎧のおかげでほとんど傷はなく、普段の訓練の甲斐あってか体力にもまだ余裕があったため、治療の手伝いのため包帯や傷薬の準備、運搬をすることにしていた。
 正直なところを言えば、主君クロムが戦い疲れて仮眠を取っている状態のため、過保護の使い道がなかったので、他に手伝えるところを探していたというわけである。

「フレデリクー!こっち包帯足りないよ〜!」
「は、リズ様、ただいまお持ちいたします」

 ぴょいぴょい飛び跳ねて物資の不足を要求するリズに、軽く会釈を返すと、フレデリクは足早に備品の天幕へと足を運ぶ。
 道すがら、多くの兵が疲れて眠っていたり、怪我の治療をした跡が見受けられた。今回の戦いも厳しいものだったな、と考えたところで、自分の失態が鮮明に蘇えって来た。
 背後から襲いかかる屍兵と、ただ衝撃を待つのみの己―――。

(…いくら多くの兵を相手にしていたとはいえ、あの失敗は戦場に立つ者としてあまりにも…もっと集中力を高める訓練をしなければ)

 一歩間違えれば―――いや、あの男の助けが無ければ、フレデリクもリズ達の世話になっていたか、もうこの世にいなかったかもしれない。そう思うと、より一層自分の行動が愚かしく思えてきてならない。
 あぁ、けれど、あの飄々としてどこかとらえどころのない男に助けられてしまったことが。

(なんだか、少し…悔しい気がするのは、なぜでしょうか)

 彼よりは訓練を積んでいる自信があったのにも関わらず、己の弱さを見られてしまったからかもしれない。これまで積み上げてきたフレデリク像というのが、彼の中で少し壊れてしまっただろうことが悔しいのかもしれない。

(内心、笑われているかもしれない…あれほど隙だらけでは…、…?)

 なんにしろ、感謝だけでない感情を抱きながらたどり着いた天幕には、すでに先客がいた。天幕の隅の方の暗がりで、何かがもぞもぞと動いている姿が確認できる。
 はて、と首をかしげてフレデリクは声をかけた。

「…どなたかいらっしゃるのですか?」

 声をかけると、一瞬、暗がりのその背がびくりと跳ねた。そしてばっと振り返ったのは―――どこか焦ったような顔をしたヴィオールだ。

「あ…こ、ここれはフレデリクくん、奇遇だねこのようなところで」

 言葉を詰まらせながら挨拶をするヴィオールとは珍しい、よほど驚いたのだろうか。フレデリクもまた、今の今まで考えていた男だけに少し驚いて瞠目する。
 さらに、その考えていたヴィオールの姿というものが、戦場で見た凛とした姿を思い描いていただけに、焦燥したその態度との差に知らず落胆した。自分を助けてくれた颯爽としたヴィオールが夢だったのかと思うほど、今のヴィオールは視線を泳がせおどおどとした態度を見せている。

「…どうなさいました、どこか挙動不審ですよ?」
「い、いやいや!そんなことは断じてない!断じてないのだよフレデリクくん!」

 その喋り方からして何かがあるとしか思えないのだが―――ヴィオールがそう言うなら、そういうことにしておこう。フレデリクはあっさり諦めた。別段、深く突き止めたいわけでもない。落胆したことで、ヴィオールの行動というものに興味がなくなってしまったのかもしれない。
 しかし、一つだけはっきりとさせておかねばならぬことがあった。

「まさかとは思いますが、軍の備品を勝手に持ち出して―――」
「フレデリク君聞きたまえ、そのようなことこの私がするわけないだろう?物を盗むなど、あまりに美しくないからね」
「それならよいのですが」

 まぁ持ちだしたか持ちだしていないかは、毎日の日課である備品のチェックをすれば自ずとわかるだろう。
 それに、ヴィオールが平静を取り戻し、いつもの調子に戻って来ている。おそらく―――フレデリクがいきなり入ってきたことに驚いたのであろう。思いのほか小心者であるこの男なら、あり得る話だ。
 調子を取り戻してきた証拠に、今度はヴィオールから話しかけてくる。

「ところでフレデリク君。君も手伝いかね?」
「も、と申しますと、ヴィオールさんもでしょうか」
「あぁ、いやリベラくんがね、あの美しい顔を悲しそうに歪めて傷薬が足りない、と言っていたからね、あの顔を曇らせるわけにはいかないと、こうして取りにきたというわけだよ」
「…そうでしたか」

 少し呆れたようにフレデリクはヴィオールを眺める。
 リベラ。あの中性的な見目麗しい僧侶を、この男は最初女性と思い込み、誤解が解けた今でもうっかり頬を染める始末である。見れば、外見こそ中性的ではあるが、リベラは大層男らしい性格と体力の持ち主であり、ここまで思い込むのも稀なものだ。

(リベラさんも大変ですね)

 毎度毎度そんな複雑な思いを秘めた瞳で見られては、常人は耐えられないだろう。よく女性に間違えられるというリベラだからこそ、耐性があって流し方も心得ているに違いない。
 そんなことを考えていて、は、と己の目的を思い出す。
 主君の妹君であるリズから急ぎの用を受けているのだった。ここで時間を浪費するわけにはいかない。まして、こんなどうでもいい話題でリズを困らせるのは大層問題である。
 フレデリクは、いつもの主君を思う頭にすっと切り替えると、包帯の場所を探し始めた。

(確か、怪我などの治療に使うものは一か所にまとめておいたはず…、あ)

 あぁあった、としゃがみこんだ場所は、ちょうどヴィオールが傷薬をいくつか抱えてしゃがんでいるすぐ隣だった。傷薬と同じ場所にあったということは、やはりフレデリクの記憶は間違っていなかったようだ。
 いそいそとしゃがみこんだフレデリクの横で、途端にヴィオールが慌てた素振りでばっと立ち上がった。はて、とその姿を見上げると、その瞳はまた困惑に揺れていた。

「ヴィオールさん?」
「あ、いや、では傷薬も調達したことだし、私はこれで失礼するよ」

 リベラ君を待たせるわけにもいかないからね、と付け足し、ちゃっと右手をかかげ、ヴィオールは急ぎ足で出口へと向かって歩いて行く。その後ろ姿を見送りながら、フレデリクは内心眉を寄せる。

 ―――避けられた、気がする。

 今のヴィオールの動作をフレデリクはそう感じた。気のせいかもしれないが―――いや、明らかにヴィオールはフレデリクが隣にしゃがみこんだ途端に、その腰を上げたのだ。それも、焦ったように、である。

(…嫌われている?)

 ひょっとしたら、先ほど天幕内に入った時も、ただ驚いたのではなく、フレデリクが現れたから驚いたのではないだろうか―――不穏な考えが頭をよぎった。
 いや、しかしその後はわずかではあるが友好的に話をしていたはずである。戦で助けてくれた時のことを思い出してみても、自惚れかもしれないけれど嫌われているとは思えなかった。
 それが、何を突然。
 少し考えてみたけれど、やはり本意は理解出来なかった。フレデリクの思うところにあるのか、全く別のところにあるのか。

「…やはり理解に、苦しむ方だ」

 常々思っていて、そしてより一層深まった感情を口にしたフレデリクは、今はそれどころではなかった、と思い出し、包帯の準備を急ぐ。

 それでも、遅いよフレデリク、とリズに言われてしまったことについて、ヴィオールとの会話の時間ロスを悔やむのであった。




守想 2

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挙動不審な婚活貴族。