さてフレデリク、負傷者がいつもよりも多いためか、早く治療しなければという焦りと不安に駆られたリズから不満を言われながらも、その本心が皆の傷を心配していると理解し、懸命に手伝いを続けていた。
 とはいえ、単にリズが手伝えと言うからではなく、フレデリク自身も皆を助けたいという思いから動いている。重ねて言うように、軍の為、ひいてはクロムの為にと働くことがフレデリクの生きがいなのである。もしここで、もう休んでいいと言われてしまったら、フレデリクは生きがいを一つ失うことになるのだった。

―――まぁそれは、いいすぎだけれども。

 なんにせよ、リズやほかの皆が働いているというのに、自分だけ休むなどということはどうにも許せないタチなのである。まして、まだまだ動き回れる体力が残っているならなおさらだった。

 フレデリクは真面目と堅物とを絵に描いたような男であり、せっせと天幕間を往復している間は、そのことをひたすらにこなし、他の非優先事項については完全に意識から遮断していた。
 例えば、自分の小腹がすいたことや、どれだけ時間が経っているかや―――先ほどのヴィオールとのことなどは、すっかり忘れてしまっていた。忘れていたし、覚えていたとしても、取るに足らぬ些細なことだとさえ思っていただろう。そんなことで頭を悩ませるのは時間の無駄だと感じるのだ、人命救助を前にしては。
 けれど、幾度目か備品の天幕とリズの場所を往復しているところで、不意にとある光景を目にして、ふと足を止めた。

「―――ありがとうございます、ヴィオールさん。もうお休みになられて宜しいのですよ」
「何を言うのだねリベラ君、君やほかの皆がまだ治療を続けているというのに、どうして私だけが休めるだろうか」

(あれは、)

 リズとは別の方向で負傷者の治療にあたっていたリベラと、その手に包帯と傷薬を抱きかかえたヴィオールが、隣り合って負傷兵の横に座っている姿だ。
 ヴィオールの持つ包帯が増えているところを見ると、彼も幾度か備品を取りに往復しているのだろう。リベラのために。

「ですが…ヴィオールさん、貴方は戦場も走り回っておられました。その上、こう何度も手伝っていただいては、貴方の体力の方が心配です」
「その気持ちは非常に嬉しいが、心配には及ばないよリベラ君。君が感謝してくれるだけで、疲れも吹き飛んでしまう」
「またそのような…、…いえ、ですが本当に助かります、ありがとうございます」
「そんな眩しい笑顔を見せられては…私の方こそありがたいよ」

 主にヴィオールの言葉の内容は、まぁ、いつも通りであるから置いといて、友好的に見える会話が繰り広げられている。その間もリベラは治療の手はとめず、ヴィオールもまた手伝いを進める。手慣れた手つきは、もはや何度も同じように手伝いを繰り返しているからだろうか。
 知らず、フレデリクはすっと目を細める。

(…あぁやはり、あの時、私は避けられたのか)

 リベラと共に座りこむヴィオールの姿に、フレデリクはそれを思う。
 状況としては、先ほど備品の天幕にいたヴィオールの隣にフレデリクがしゃがみこんだ状況と同じである。むしろ距離的には、リベラとヴィオールとの方が近いぐらいだ。
 その状況にあって、ヴィオールは逃げ出すことはおろか、困惑したような表情を浮かべることすらない。ひたすらに気障ったらしい笑みを浮かべている。
 だから、そう、やはり―――あの挙動不審な行動は、フレデリクを避けようとした結果だったのだろう。

(…まぁそれならそれで、何の問題もありませんが)

 相手がそう自分のことを思っているなら仕方がない。人の感情はフレデリクがどうあがいても、そうそう変えられるものではないとわかっている。
 ただ、少しだけ接し方が変わるぐらいだ。避けられる程嫌われているというのなら、必要最低限の会話しかしなくていい。その程度だ。

(私自身、彼と接することが得意でないのだから、ちょうどいい)

 そう思いながら、治療を続ける二人の姿を遠目に眺めていると、またしても遠くからフレデリクを呼ぶリズの声にハッとして、フレデリクは急いで彼女の元へと向かうのだった。



 しかし。

 ―――勘違いかもしれない。

 と、いう思いを再度抱く。
 あれは、相手がヴィオールが頬を染める程の相手、リベラであったから、逃げたり避けたりしなかっただけで、フレデリクのことに関してのみ避けているだの嫌っているだの、そんなことは杞憂で思い違いだったのかもしれない、とフレデリクは更に頭を悩ませることになる。
 それが―――。

「やぁフレデリクくん、ごきげんよう」

 負傷者の手当てにも一区切りがつき、フレデリクが嬉々として夕飯の火起こしをしているところへやってきたのは、見るまでもなくフレデリクから逃げるように去って行ったあの男だ。わざとらしい程に上品さを醸し出すあのような言葉づかいをする人間は、フレデリクの記憶にはそうそういない。
 火起こしの手を止めないまま顔を上げると、こちらへ向かっていたのはやはり、お気に入りのスカーフをなびかせ颯爽と歩いてくるヴィオールであった。
 口元に笑みを浮かべながら話しかけてくる彼は、普段通りの悠々とした態度である。フレデリクを避けた―――と、思っている―――時の、不審な様子は微塵も感じられない。非常に友好的な態度に見える。

(…勘違い?)

 視線は逸らさぬまま、フレデリクはあの時の彼の顔色を思い出す。
 いや―――勘違い、ではないはずだ。
 確かにあの時、フレデリクが話しかけた時と隣にしゃがみこんだ時、ヴィオールは表情を変えたのだ。困惑しているような、どこか悩んでいるような―――そんな、見た事もないような顔を浮かべたはずなのである。
 その表情は今もフレデリクの目に焼き付いていた。
 しかし、だというのに、こうしてあの時のことなどなかったかのように堂々とした態度を取られると、勘違いだったのかもしれないと思えて仕方がない。この違和感はなんだ。
 そんなことを色々と思い悩まされている事実に気が付き、この男相手になぜ自分が悩まなければならないのだ、とやや億劫に感じて、フレデリクは緩慢な動きで瞳を動かしヴィオールと視線を合わせた。

「何か、用ですか?」
「そんなに冷たい眼で見ないでくれたまえ…何かなくては来てはいけないのかい?」

 少ししゅんとして、しかしすぐにいつもの調子でヴィオールが問いかけてくる。それほど冷たい眼で見ているつもりはなかったのだが、心持ちの悪さが顔に現れてしまっていたのだろう。自分の感情もコントロール出来ぬとは、と心の隅で思う。

「いえ、ですが用もないのに話すほど、私達は共通の話題を持ち合わせていないように思いますが」
「手厳しいねぇ…しかし対話とはどんな些細なことからも生まれるものだよ。例えばそう、その火起こし」

 かつ、と近寄って来て、ヴィオールはフレデリクの手元に視線を寄越す。つられて、フレデリクも視線を落とした。
 くべられた薪と大気中の酸素を餌に、ぱち、ぱちりと赤い炎が踊っている。フレデリクが、さほど時間をかけずに起こしたものだ。陽の落ちてきた夕闇の中で、地面にいくつもの天幕の影を映し出していた。
 火起こしは普段の日課、特にこれはフレデリクが好きで引き受けているものである。そのことはすでに周知の事実であり、これについて何か話題があるとも思えないのだが、と考えていると、ふわりとヴィオールが笑みを浮かべた。

「君の手際はいつ見ても素晴らしい。貴族的に優雅で華麗だ」
「…はぁ」
「私も何度かやってみたことはあるのだがね、どうにも上手く起こせない内にセルジュ君などが隣で簡単に点けてしまうのだが、その手際よりも見事だ」

 それは貴方が不器用というか貴族的な起こし方にこだわって火起こしにおかしなアレンジを加えているからではないのですか、と口にしかけたが、まぁ、どうやら褒められているようなので、そこは言葉を呑みこんでおいた。

「コツさえつかめばヴィオールさんにも出来るようになりますよ。…それで?」
「そう邪険にしないでくれたまえ…要するに、私が言いたいのは、君にはとても感謝している、ということなのだよ。毎日、誰に言われるでもなく自発的に火起こしに取りかかるその姿には、本当に頭が下がるよ」
「これに関しては、好きでやっていますので」

 そんな、誰かに感謝されたくてやっているのではない。フレデリクは火起こしが好きなのである。だからやっている。それだけのことであり、軍のためだとか、そういった思いがそれほど強いわけではない。
 ヴィオールの真意が読み取れず、やや突き放した言い方をすると、ヴィオールは真剣な表情を浮かべて首を振る。

「だとしてもだね、感謝しているよ。本当はこうした感謝は毎日伝えなければいけないのだろうけれど…申し訳ない、今日が初めてになってしまったね」

 もうしばらく一緒の軍で生活しているのにね、とヴィオールは申し訳なさそうに眉根を寄せた。いつも飄々とした態度の男が、緩やかに視線を伏せて自分の行いを恥じている。
 その行動にフレデリクは―――正直、大層驚いていた。
 そんなことを改めて言われるとは思わなかった。
 感謝の言葉を言われたことがないわけではない。クロムやリズなどフレデリクの行動を良く知る人々は、時々ねぎらいの言葉をかけてくれるが、それは普段の生活において、何気ない場所で何気なくありがとうと声をかけられる程度である。
 他にも、火起こしをしているところへ通りすがった人から声をかけられることはあった。だがそれは、挨拶と同じようなものである。フレデリクが火起こしをしているのは、日常の一部になってしまっているのだ。きっと、軍の者も皆そう思っていることだろう。
 けれど。

「だから、遅くなってしまったけれど、改めて言わせてもらうよ。いつもありがとう、フレデリク君」

 この男は、それが日常だからと甘んじて、現実を、礼儀を、感情をないがしろにするつもりはないらしい。普通なら受け流してしまうようなことを、こうして形にしている。なにより、感謝の言葉をかけなかったことを恥じる、などというのはあまりに聞かぬ話だ。
 少し崩れたヴィオール像を頭の中で構成しつつ、予想していなかった気まずい空気に、フレデリクの返す声が少し硬くなる。

「…そのようなこと、改めて言っていただかなくても結構です、よ」
「ふふ、そう照れなくとも良いのだよ」
「照れていません」
「…迷いなく言いきってくれたものだね…、まぁ、お気に召さないというのなら、私の自己満足と取ってもらって構わない。君の偉業に対して、私自身の礼儀を通さなければ、貴族的に美しくないのだよ」

 ふふんと鼻を鳴らして一人頷くヴィオールに、フレデリクははっと瞠目した。
 こんな真正面から感謝の気持ちを伝えようとしてくれたのは、この男が初めてだ。
 ただ、それだけなのに。

 ―――この人は。

(やはり…理解は出来ない人ですが、誤解は、していたかもしれませんね)

 上辺だけの、見せかけの言動に踊らされ、本質など僅かにも見えていなかったのかもしれない、とフレデリクは初めて思った。
 ヴィオールと言う男は、彼の中にある確固たる信念に従って行動しているのだろう。人から見れば理解不能の行動も、彼の中には確かな意味があるのだ―――まぁ、それは理解は出来ないのだけれど―――その信念から外れれば、彼の、彼たらしめているものを無くしてしまう。フレデリクから真面目と堅物を引いたら何も残らないのと同じで。
 だからこの感謝には、ヴィオールにとっては大きな意味があった。そして、フレデリクにとっても、ヴィオールと言う男を一つ理解する点において、意味があった。
 だから、だろうか。次の言葉は、フレデリク自身思いもよらず滑り落ちた。

「…どうも、ありがとうございますヴィオールさん」
「いやいや、それは私の言葉だったはずなのだがね…まぁ、受け取ってもらえたのなら、喜ばしいことだね」

 うんうんと嬉しそうに頷くヴィオールに、それほど喜ばしいことなのだろうか、とやはり理解出来ずに内心首をかしげる。が、少しだけこの男について理解したフレデリクは、ヴィオールに対する評価を、得体の知れない男から、結構変わった信念を持った男に格上げするに至るのだった。



「そして提案なのだが、私にもその火起こしを手伝わせてはもらえないだろうか?」
「一人の方が早く出来そうですので、遠慮いたします気持ちだけいただきます」
「おう…フレデリクくんは直球だね…」



 さてついでだが、備品のチェックをした結果、消費された傷薬や包帯のほか、おかしな不足はなかった。ヴィオールに盗みの疑いをかけたことは謝ろう。
 さらに、避けられたというのも、あの会話を聞けばどうやら勘違いのようだ。

(…でも、ならばあの困惑は一体何だったんでしょうか)

 信念に基づいた行動だとしても―――果たして何の信念なのか。
 結局、謎がまた一つ増えてしまい、ヴィオールという男について悩まされ続ける羽目になるフレデリクであった。



守想 3

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ちょっと仲良くなった。基本的にフレデリク視点。