あかつき



 月も動物も皆寝静まっている真夜中過ぎといえど、妖怪達の気配がなくなることはなかった。禍々しい気配をはなつその生き物達は闇夜に溶け込むようにゆらりゆらりと動きながら、時に信じられないような速度で人を襲うことがある。カムイに住む人々は夜中は村の外へ出ないようにと言いつけられており、それでも時折村へと侵入してくる妖怪達に悩まされていた。
 そんな中、一匹の青い獣が闇夜の雪の原を駆けていた。額に特有の面をつけているところを見ると、どうやらオイナ族の一人であることがわかる。しかもそれはウエペケレの村長であるサマイクルだった。

(オキクルミのやつ・・・クトネシリカを奪うとは何事だ・・・)

 風を切り、妖怪達の目にも留まらぬ程の速さで野を駆ける。その最中でふと後ろを振り返り、先ほど会ってきた男のことを思い出しながらぶつぶつとつぶやいた。
 村の青年でサマイクルの幼馴染であるオキクルミが村の宝剣クトネシリカを奪って村を出た、と聞いたのは今より数日前だった。それから今日までの間にも村の者が話を聞きに行ったりしたのだが、オキクルミに追い返されるだけだった。そこでサマイクルが出向いたのだが、やはり同じように追い返されてしまった。

(しかも「お前も早く帰れ、ケムラム共に襲われても知らんぞ」だと?我を何だと思ってるんだあいつは・・・)

 オキクルミはサマイクルの姿を発見するなり面倒くさそうに一瞥して、一言それだけを言ったのだ。村の宝剣が奪われて、それでどうして村長であるサマイクルが黙っていられただろうか。思い返せば腹が立ってきて、サマイクルは力任せに地面を蹴った。オキクルミを説得するまでそこに居座っても良かったのだが、妖怪達が暴れまわっている今の時期村を長々と空けるわけにはいかず、仕方なしにひとまず村へと戻っていた。
 雪の混じった風が顔面に吹き付ける。それを首を振ることで払いつつ、サマイクルは村への道のりを急いだ。

(どうしたというんだ、本当にオキクルミのやつは・・・)

 村の宝剣を奪うなどとそんなことをするような人間には見えなかった。いや、そんな素振りなど今まで一度だって見せていなかったではないか。オキクルミの全てをわかっていたつもりはないが、このたびのことは一段と理解できなかった。
 そう思っていた次の瞬間、背後に妖怪の気配を感じてサマイクルははっとして振り返った。そしてしまったと思う。考えることに夢中になっていて、いつの間にか走る速度が落ちてしまっていたことに気づいていなかったのだ。

(くっ・・・)

 背後からの妖怪の一撃をサマイクルは横へ飛んでかわしたつもりだったが、やはり少し遅かったのか額につけていた面に妖怪の爪が当たり、遠くへと吹き飛ばされた。ぼそり、と雪の上に少しだけ砕けた面の沈む音が聞こえる。その音を耳で拾いながら、サマイクルは次の攻撃に備えようと地面に爪を立て。
 次の瞬間、ズズッと嫌な音と共に、目の前の妖怪の額に一本の矢が突き刺さった。
 何が起きたのだ、と妖怪が消え去っていく姿を見ながらサマイクルが思っていると、何故今まで気づかなかったのかはわからないが背後に人の気配があることに気づき、急ぎ振り返った。雪野原の向こう、ちょうど振り返ったサマイクルの視線の先にはオイナ族ではない誰か人が立っていたのだ。サマイクルはその手に弓が握られているのを見て、あの人物が妖怪を倒したのかと納得しながらも、こんな時刻にこんな場所に人がいることを訝った。
 その人影は妖怪が消え去ったのを確認すると構えていた弓を下ろし、サマイクルのほうに近づいてくる。近づいてくるにしたがってその人物の姿かたちがはっきりと浮かび上がってきた。赤い衣を身に纏った男のようだ。
 男はサマイクルの前まで来ると獣型のサマイクルの目線に合わせるようにしゃがみこみ、そしてにこりと笑いながら話しかけた。

「大丈夫かい、ワンちゃん?」
(ワン・・・まぁ、仕方が無いか)
「気をつけないと危ないよ。どこで飼われてるのかな」

 仮面がないせいか、この男はサマイクルがオイナ族であることに気づいていないようだ。あるいは、もとから知らないのかもしれないが。相手がそう思っているのならばそういういことにしておくか、とサマイクルは獣型のままでいることにした。

「どうだい俺の弓の腕前は。なかなかのもんだろ?」
(・・・確かにそうだな。助かった)

 口には出せなかったので、とりあえず態度で示そうとサマイクルは頭を下げる。それを礼だと受け取ったのか男は「無事で良かったな」と笑った。
 それから「あ、そうだ」と言って。

「俺はヨイチっていうんだ。はいこれ、お近づきのしるしに・・・って、ワンちゃんは食べないか?でも白いワンちゃんは食べてくれたし、お前も食べるだろ?」

 男、ヨイチはそう言うとどこからともなく一つのリンゴを取り出し、サマイクルに向かって投げた。反射的にサマイクルはそれを口で受け取る。その際に少し強く噛みすぎたせいか、口の中に甘いリンゴの味が広がった。
 サマイクルがリンゴを受け取ってくれたことに満足そうにしたヨイチは、またにこりと笑うと立ち上がってサマイクルの頭を撫でた。完全に獣扱いだ。あまり好ましくもなかったが、まぁ仕方ないかとサマイクルは黙ってそれを受け入れた。なんとなく、このヨイチという男の持つ雰囲気にはそれを許してしまうところがあった。人間だと明かさなかったのは自分なのだからそれも仕方がない。

「じゃ、気をつけて帰れよ!」

 ヨイチが手を放したのを確認してからサマイクルはくるりと男に背を向ける。どうしてこんなところにいるのか不思議には思ったが、別に聞かなくても問題はなかった。それに多分、何度も会うこともないだろうと思った。
 振り返ってみるとヨイチはまだこちらを見ていた。サマイクルが振り返ったのを見るとまた手を振る。その時ふと視界の端に雪に埋もれた壊れかけの面を発見したが、多分使い物にならぬだろうからとその場に捨て置くことにした。
 サマイクルは今度こそ完全に男に背を向けて、走り出した。

(・・・変わった人間だったな・・・)

 だが、悪そうな奴じゃなかった。
 リンゴをくわえたまま東の空にうっすらと顔をのぞかせてきた太陽を見ながら、雪の色にも似た薄い青の獣は闇夜の野原を駆けていった。



林檎 1


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大神一作目。なんだろう、イメージと違う。
あとサマイクルが始終獣で申し訳ない。リンゴくわえたままだと顎疲れそうだね。