林檎2



「あれ、村長ってお面変えたんだね」

 村の外を漂っている妖怪達の様子を見ようと家を出て歩いていたサマイクルを引き止めたのは、そんな可愛らしい声だった。立ち止まったサマイクルがきょろりと周りを見回してみると、緑の衣に身を包んだ少女が頭上の崖の上から落ちるように降ってきた。わ、と思いながらサマイクルはなんとか少女を抱きとめる。

「ピリカ…危険だぞ」
「だって受け止めてくれるでしょー」
「努力はするが確実ではない…」

 普通に降りてきなさい、と言うと葉っぱの面をつけた少女はその葉をゆらしながらキャッキャと笑った。そんなピリカの様子を見ながらサマイクルは、どうしてもこの少女には強くいえない自分に小さくため息をつくのだった。

「なんでお面変えたの?失くした?」
「…良くわかるな、ピリカ」
「だって前のお面、ここんとこに傷ついてたもん」

 誇らしげにこめかみのあたりに指をつけながらピリカが言う。

「ピリカ良く見てるんだから」
「そうだったのか」

 子供はそんな、自分でさえも気づかないところまで良く見ているのだな、とサマイクルは少し感心した。そういえば言われてみれば傷があったような気もする。が、しっかりとは覚えていなかった。だが変えたのは事実だ。

「ねぇねぇ、なんでー?」
「なんでって…」

 妖怪に襲われて壊された、とはなんとなく言いづらかった。まして妖怪に背後を取られてしまったなどと、村の誰にも言いたくはなかった。

「昨日落とした時に欠けてしまったんだ。だからだよピリカ」
「ふーん」

 少女はどこか不満そうにそう言った、ようにサマイクルには聞こえた。嘘をついてしまったという負い目があるからだろうか。
 あぁそういえばあの男はどうしたのだろうか、とふと思い出した。カムイの地に、オイナ族以外の者が来ることはほとんどない。服装などからすると、風の便りに聞く西安京とやらで警備をしている者に似ていた。だがだとしても何の用事があるというのだろう。
 なんにせよ深追いはされたくないなと思ったサマイクルは、そっとピリカを地面に下ろして話をすりかえようとしたが、それより前にピリカに問いを投げかけられた。

「それより村長、オキクルミお兄ちゃんの様子どうだった?」
「……あぁ、相変わらず村へ帰る気もクトネシリカを返す気もなさそうだった」

 もう帰れ、と冷たくオキクルミに言い捨てられた時のことを思い出して、サマイクルの声は知らず覇気を失った。元からぶっきらぼうな男だったが、まるで世界に閉じこもってしまったかのような彼の声色に落胆した。

「我には……あいつが何を考えているのかわからんよ」

 そんなことを村の一少女に相談するのは間違っていたが、すでにサマイクルにとっては独り言になっていたのかもしれない。だがピリカはそこにいた。

「村長、信じてあげよ。オキクルミお兄ちゃんも何か考えてるんだよ」

 ね、と言われてピリカがいたことを思い出したかのようにハッとするサマイクル。そしてその言葉を咀嚼して、曖昧に頷く。

「そうだな、きっと何か……」

 あってほしいと、願った。



 夜半、サマイクルは一人自分の家で座っていた。考えるのはやはり、奪われたクトネシリカとそれを奪った男のことだ。考えてどうにかなる問題ではないけれど、何も行動に移すことが出来ないなら考えることぐらいしか出来なかった。
 オキクルミがクトネシリカを奪って村を出たのは、ちょうど長老であるケムシリ爺が双魔神によって傷を負ったのをきっかけにサマイクルが村長としての地位に就いた時だった。時が時なだけに、その時サマイクルは自分が村長に選ばれたことが原因だったのだろうか、とも考えてしまった。だがおそらくそうではないのだ。
 厄介なことになっている、とサマイクルは唸った。獣型であったらグルルと喉が震えていたであろう。しかし厄介だ。
 そんなことを悶々と考えていると、不意にサマイクルは背後に気配を感じた。妖怪の気配ではない、もっと馴染みのある感覚だ。心当たりがあって、サマイクルは反射的に振り向いた。

「!」

 振り向いたサマイクルの視界が一人の男の姿を捉える。そこにはちょうど家の扉を開けたところだった、サマイクルが考え込む原因である男がゆらりと立っていたのだ。

「オキクルミ!!お前戻って……ぐっ!」
「静かにしろ」

 素早く近寄ってきたオキクルミの大きな手が、サマイクルの口元を掴み塞ぐ。ふざけるなと振り払おうとしたサマイクルだったが、オキクルミの瞳の奥に静かに燃える怒りの色を読み取って、暫く動きを止めた後、わかったといった意味で一度頷いた。感情の高ぶったオキクルミには抵抗しないほうが話を楽に進められることを、サマイクルは長年の付き合いで悟っていたからだ。オキクルミもまたサマイクルが何を言おうとしているのかを理解したようだ、そっと手をどける。

「何の用だオキクルミ……クトネシリカはどうした」
「昨日、これを拾った」

 サマイクルの問いには答えようとせず、オキクルミは代わりに懐からひとつ物を取り出した。それを見てサマイクルは目を見張る。それは先日、妖怪に襲われた時に捨て置いた欠けたサマイクルの面だった。己の失態をさらすようなものを、よりによってこの男に拾われるとは、とサマイクルは忌々しくも思う。

「ケムラムにでも襲われたのか」
「……だったらなんだ。そもそもお前がクトネシリカを奪って村の外へ行かなければ、我が行くこともなかったのだぞ」

 さりげなくオキクルミのことを非難してみたが、本人には伝わっていないようだ。じっとサマイクルのことを見つめているのは、怪我がないことを見定めてでもいるのだろうか。
 やがて、オキクルミはふっとため息をつくとくるりサマイクルに背を向けた。

「もう俺のところへは来るな。危険だ」
「ケムラムごときに遅れをとるような我ではない!大体お前はどうして……」

 どうしてこのような、ことを。
 言ってはみたがさすがはオイナの戦士だ、オキクルミは素早い身のこなしで獣型に変化すると、サマイクルの言葉を最後まで聞くことなく家を飛び出して行った。比較的闇彼の色に近い彼の姿は、この暗闇では誰かに発見されることなく村の外へと抜け出せるのだろう。だからオキクルミは夜を狙っていたのだ。
 その素早い行動を呆気にとられたように見送った後、わからない男だ、サマイクルはため息をついた。結局今回ここへ来た理由はなんだったのだろう。俺のところへ来るなと、最後に言ったそれが一番言いたかったことなのだろうか。

「我にも……理由さえ告げてはくれぬかオキクルミ」

 少し前にピリカに言われた通り、今までの彼を知っているサマイクルだって彼を信じてやりたかった。何か考えがあるのだと、信じたい。
 けれどこのままで済ますことはできない。サマイクルは何も聞いてはいないし、オキクルミだって何も言っていないではないか。黙って信じてやることも可能だ、しかし。
 今度今一度、真意を問いに行ってみようとサマイクルは心に決めた。



林檎 2


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うぅんヨイチさん出なかった。残念。回想シーンでたった四行。
さてさてオキクルミの深層心理やいかに。