それは不可解な 1




 眠れない、とリオンが感じるようになったのは、ファンダリアの王である青年と出会いハイデルベルグ城へと向かうまでの、ほんのわずかな間のことだった。

 眠くない、のではなく、眠れないのだ。神の目を追ってひたすらに動き続けている体はリオンにしっかりと眠気を訴えかけてくるというのに、いざ横になってみてもすっと意識の遠のくようなあの感覚には至らない。けれど眠らなければ翌日に支障を来すからと、少しでも体を休めるためだけに目をつむり身体を横たえていた。おそらくそれで眠れている時間などほんのわずかなのだろうが、それでも起きているよりはマシだった。

 それは確かにファンダリアに足を踏み入れてからだ、とリオンは思っている。

 もともとダリルシェイドの人間であったリオンは、今までまったくと言っていいほどファンダリア王国に足を踏み入れることはなかった。任務で訪れることもなかったし、通行証を持っていない人間がいけるのは国境の町であるジェノスまでだったからだ。
 だからなんだというわけではない、それが当たり前であったのだから、別段気にしたことはなかった。

 だが、だから、かもしれない。
 不調の原因は、久しぶりに踏み入れた雪国の気温にうまく体温調整がついていっていっていないせいで、なんとなく気分も優れないのだろう。それが睡眠にも影響しているのだ、と。ふだんから体調管理には気をつけているだけに自分の落ち度であるという理由を考えたくなくて、リオンはその理由で納得しておいた。
 大体ハイデルベルグについたらグレバムとの戦いが待っている今、休める時に休まなければいけないというのに、眠れないなどとはあってはならないことだ、と雪の山道をハイデルベルグへ向けて歩きながらリオンは自分の体調にイラついた。いざというとき動けないようでは、足手まといはどっちだ、と先を歩くスタンの姿を見ながら小さく愚痴る。

 そのスタンが、いきなり振り返った。

「リオン!」
「な、なんだ」
「今日はこのあたりで野宿にしないか?もう暗いし…」
「あぁ、なんだ…」

 考えていることがバレてしまっただろうかとリオンは少し驚いてしまったが、スタンがそんなことに気づくはずがないかと冷静を取り戻し、ふいと空を見上げた。すでに頭上は暗闇に覆われている。急がなければならないのは確かだが、闇の中を無闇に歩きまわるのは利口な方法ではないだろう。
 そうした方がいいだろうな、と言おうとしたリオンの後ろから、すっと足音をたてずに歩いてきた男が声を発した。

「ハイデルベルグはここからだともう少しかかる…ここで休んだ方がいいだろう、確か近くに旅人のための山小屋があったはずだ」
「そうなんですかウッドロウさん?」

 そう言ってふっと穏やかに笑ってみせたのは、一国の王となる人間にしては身分の違いを気にさせないような緩やかな、それでいて滲み出るような気品を纏っている、ひどく整った顔立ちと美しい銀髪を持つ男。スタンとは以前に面識があるようだったが、それ以外の皆と初対面にも関わらずその穏やかな物腰をもってすでに打ち解けている男。

 あぁそういえば眠れなくなったのはこの男と行動するようになってから、と称しても間違いではないのかもしれない、とリオンは少し目を細める。ファンダリアに来てからこの男とも出会ったのだ、から。

 ウッドロウと呼ばれたその男は、道も見えないのに下手に雪山を歩くと迷ってしまう可能性もあるからね、とスタンに向かって説明をしている。馬鹿にするでも誇るでもない、優しい口調。この国の王である以前に、ここに住んでいる者ならば当り前の知識なのだろう。その隣でぴょこぴょこと跳ねる桃色の髪の少女、チェルシーも、夜の雪山を歩くなんて自殺行為ですよ、と当然のように口にしていた。
 休む、という言葉に、リオンの後ろを五歩ほど離れて歩いていたルーティが嬉しそうな声を上げた。

「じゃ、そこまで行ったら休憩にしましょ。一応小屋とはいえ、最近野宿続きなのが気に入らないけど…」
「そんなことを言ってる場合か、なんならお前だけ一人戻ってもいいんだぞ」
「うるさいわね!嫌だって言ってるわけじゃないからいいでしょ!」

 フン、と鼻を鳴らしてルーティは早足にざくざくと先に進んでゆく。確かにいつもの自分の言葉が冷たい自覚のあったリオンだったが、今のは少し睡眠不足でうまく言葉を選べていなかったかもしれない、と思った。
 まぁどちらにせよ、リオンとルーティは口を開けば大概こんな感じで話は終わってしまうのだ、こちらもまた当たり前のことだとフィリアなどは苦笑していた。

 しばらくウッドロウの指示に従って歩いて行くと、少し木々の開けたところに雪の積もった一軒の山小屋が建っていた。先客はいないようで、中に入るとすぐに火を起こしそれを囲むようにして皆腰を下した。
 小屋の中は、風が入らないだけ外よりはマシという程度で、温まるまではひどく寒かった。ぶるり、と一際大きく体を震わせたのはスタンだ。

「ファンダリアって寒いんだなぁ…歩いてる時はよかったけど、こうしてじっとしてるだけだと寒さが身にこたえるっていうか…」
「スタン君はリーネの出身だったね…あまり寒さに慣れてはいないだろう、大丈夫かい?」

 スタンの様子を見たウッドロウは小屋の隅に積まれた毛布を持ち上げながら尋ねる。それに対して大きな心配はかけまいと、大丈夫ですよ、と答えようとしたスタンだったが、答える前に大きなくしゃみをひとつもらし、ウッドロウからの苦笑を受けていた。

「す、すいませんでもホント!大丈夫ですから!」
「慣れない者にこの寒さはつらいだろう、この毛布を…」

 笑みを浮かべながら毛布を渡そうとしたウッドロウの手がとまり、積まれている毛布に視線が向けられた。どうしたんだ、と思いリオンもそちらへ視線を向け、積まれていた毛布の数を数えて納得する。

「5枚、か…足りないようだな」
「あぁリオン君、どうやらそうみたいだ。普通ならもう少し常備してあるはずなのだが…まぁ、今はそんなことを言ってもどうにもならないな」

 ふむ、と少し考えたウッドロウは、そのまま一枚スタンに渡した。

「はい、スタン君」
「え、でも足りないんだったら…」
「大丈夫だよ」

 ふふと笑ってウッドロウは毛布をスタンに押し付け、ルーティやマリー、フィリアにも布団を配ってゆく。そして最後の一枚をさも当然だというように、「はいリオン君」と渡してきた。
 渡すのはいいが今しがた言ったとおりこの毛布が最後の一枚である。この小屋には今全員で7人が腰を据えているのだ。

「待て、それではお前と、チェルシーが…」
「それなんだが…よかったら誰かチェルシーを同じ毛布に入れてやってくれないだろうか」

 眉をしかめて抗議しようとするリオンの言葉に、ウッドロウは、行動を見守っていた女性陣に声をかけた。張本人チェルシーも、え、と声をあげる。
 つまりウッドロウは、この中で一番小さなチェルシーを誰かの毛布に入れてもらうことで足りない分を補おうというのだろう。

「えー私はウッドロウ様と一緒がいいですー!」
「私とでは狭いだろう、入れてもらうといい」
「ぶー」

 さりげなく堂々と自分の欲求を口にしてみたが、にこりと笑ってかわされてしまったチェルシーはふてくされるように頬をふくらませている。

「チェルシーさんさえよろしければ私の毛布を半分お貸ししますが…でも、ウッドロウさんはどうなさるのですか?」
「心配してくれてありがとうフィリア君。でも私はアルバ先生のところでの修業時代に雪山にこもっていたから、寒さには慣れているんだ。だから大丈夫だよ」

 それに女性は身体を冷やすべきではないからね、とウッドロウは言ってフィリア達の反論を奪った上、さらに夜の見張りをまでもを申し出た。さすがにそれにはスタンが素直に了承することが出来ないでいたが、ウッドロウも「代わって欲しいと思えば起こして代わってもらうよ」と譲歩に似た意見を出したので、結局今日のところはそうすることになってしまった。
 ウッドロウの申し出をすぐさま受け入れないスタンもお人好しだとは思うが、このウッドロウという男も悪く言えば頑固なお人好しなのだろう、とリオンは思った。それから、どうせ眠れないのならば夜中に見張りを代わってやろう、とも思った。

(…しかし)

 これが次期ファンダリア王国の国王か。ウッドロウの姿を見てリオンは思う。なんと王らしからぬ、それでいて理想の王の素質を持った人間だろうか。王とはこういうものか。
 リオンがそんなことを考えている間にもウッドロウは笑みを浮かべて皆に寝支度を促している。

「さ、もう眠るといい。明日もまた慣れない雪道を歩くことになるのだからね」
「ウッドロウさん…ほんとに、代わってほしかったらすぐ起こしてくださいね!俺頑張って起きますから!」

 スタンが一生懸命にそう言っているが、おそらくあの寝起きの悪さでは起こす方が労力が必要だろう、とリオンは眉間にしわを寄せ、やはり僕が代わってやるのが妥当だろうな、と小さくつぶやく。

(…やはり今日も、ゆっくりとは眠れそうにないな…)

 いつものように眠れないだろうことと、途中で見張りの交代でもしなければという二つの事を思いながら、リオンは横になった。



>2

馴れ初め話の予定でした。