グランコクマの何が綺麗かと聞かれれば、ほぼ上位に王宮の周りを取り囲むように流れている水の壁が入るだろう。他の都市では真似できない技術でもってつくられたその造りはグランコクマを水上の都と呼ぶにふさわしいものにしていた。夏場でも涼しげに流れ続ける澄んだ蒼は見ているだけでも涼しく感じられる。 ガイも、この光景は好きだった。いやそれだけでなく、質素とも華美とも言えぬ適度に飾られたこの王宮は心地よく感じられて、王宮勤めも悪くないと思っていた。 「陛下、ガイです」 王宮の最奥の部屋の扉を、二度たたく。まだ王宮に足を踏み入れることを許されて日が浅いためか、どうにもこの時は少しだけ緊張してしまう。いや、緊張する理由はそれだけではないのだろう。 「おぅ、入れガイラルディア」 やがて中から返ってきた声に、失礼しますと告げる。そして中に入ってぎょっと驚いたことが、足もとにものすごい勢いで集まってきたブウサギを見たことだ。 「今日はちょっと遅かったなーガイラルディア。お前の散歩時間にすっかり慣れちまった可愛いジェイド達がおまちかねだぞー」 その飼い主である金の皇帝は立派な椅子に座って面白そうにこちらを見ていた。蒼穹に似た瞳が細められており、それがガイの瞳を見つめている。 ガイはその視線が少し苦手だった。まるで全てを見透かされているような気分になるのだ。己の胸中にある悪しきことすべてお見通しなのだぞ、と。実際はそうでないのかもしれないが、彼の堂々たる態度がそれを感じさせていた。 「すいません、少しぼんやりしていたら遅くなってしまって…すぐ散歩に行ってきますよ」 海を見ていた、とは言わなかった。不用意なことを言えばその裏を見抜かれるかもしれない、と多少恐れたからだ。 ガイがそうしていそいそとブウサギ達に散歩用の綱をつけていると、ピオニーは椅子から立ち上がりこちらに近づき、すとんと隣にしゃがみ込んだ。 「慣れたもんだなぁガイラルディア」 「はぁ…まぁ朝夕毎日やってれば自然と身に付きますよ」 そうでなくともガイはこの16年―――特に7年ですっかり使用人気質なのだ、何事も見込みが早かった。 「可愛くない方のジェイドと違ってお前はブウサギに優しいからなー、ガイラルディアがここにきてくれて嬉しいぞ」 にこり、ピオニーの笑顔にガイは目をそらしたくなった。眩しすぎる、と思った。 そんなガイの様子にはまったく気づいていない―――と思いたい―――ピオニーは、背後から頭をすりつけてきたネフリーを振り返り、相変わらず美人だなぁネフリーは、と毛並みをなでていた。ガイには完全に背を向けた状態だ。 (…今なら簡単に…首をかき切れるな…) 惜しげもなくさらされた首筋を見て、どくりと一度心臓が波打った。こんな簡単に殺す機会が出来てしまっていいのだろうか。こんな無防備な行動を腐るほどとってみせるのだから、この部屋に来るときは無駄に緊張してしまうのだ。今なら殺せる、簡単に、そう何度思ったことだろうか。 ガイはピオニーに気付かれないようにそっと胸に手を当てた。そこにある感触にまた心臓が早鐘を打つ。ガイの懐には常に護身用程度の小刀が常備されている。ただ小刀と言えど首をかききれば相手を殺すのは容易い。 (…しっかしなぁ…) ターゲットは隙だらけであるが、簡単に殺せてしまえない理由が一つあった。 「可愛い方のジェイドは可愛くない方のジェイドとは大違いで可愛くて素直だなぁ」 「当たり前ですあなたに可愛いなどと言われた日には心臓が止まってしまいそうですよ」 ピオニーの言葉に答えるように突如として割り込んだ声には呆れの色が窺えた。振り返ると男が一人立っている。皇帝の私室にノックもしないで入り込んでくる男など、ピオニーの命を狙う者かこの男ぐらいしかいないだろう。 「ジェイドの旦那」 「やぁガイ、お勤め御苦労さまです」 にこ、笑ってジェイドがこちらに視線を向けるのと同時に、ガイは先ほどまで考えていた不埒な考えを捨て去った。頭の中にあるだけでもこの男には読まれてしまうかもしれない、と思っているからだ。本当に、食えない男。ガイがピオニーを暗殺する際に一番の障害になるのはおそらくこの男だろう。 「お前なぁ、仮にも皇帝の部屋にノックもなしで入ってくるやつがいるかってんだよ」 「おやすっかり忘れておりました、申し訳ありません陛下」 いけしゃあしゃあと言ってのけるジェイドにピオニーは眉をしかめたあと、まったくお前は可愛いのになぁ、とブウサギジェイドをなでた。可愛くなくて結構ですよ、と言い捨てながら、ちらりとジェイドがガイに視線をよこした。それが、暗に出て行ってくれと言われているのがわかり、ブウサギ達のひもを握り直す。 「では行ってまいります陛下、旦那の言うことちゃんと聞いてくださいよ」 「ガイラルディアー、お前までそんなことを言うのかぁ?」 不満げに寄せられる言葉を笑って流し、扉の方へとブウサギを連れて歩いていく。 おそらく何か大事な話があるのだろう、己がいないほうがいい話が。あるいは己の企みに気が付いているジェイドがピオニーに注意を促しているのかもしれない、そんなことが頭をよぎった。 それならばそれで、自分がピオニーを殺したがっているという証拠さえつかませなければいいだけの話だ。ジェイドは憶測で動くことを良しとしない男である。 「…機会なんていくらでもあるしな、焦らずいくか…」 つぶやいたと同時に元気よく駆け出したブウサギ達に追いつくため、ガイは足を早めた。 演繹の光 帰納の闇 21 3このジェイドは、一応ジェ&ピです。 070728 |